野村祐輔と記憶を振り返る
「まってかとー」。このことばを言うと両親は必ず笑う。もし都合が悪くなってもこれを言えば場が和むという、我が家の合言葉だ。
わたしがガキンチョのとき、両親はわたしを連れて市民球場によく行ったらしい。
まわりが言う「かっとばせー」を真似て大きな声で「まってかとー」と叫び、歩いているスライリーを見つければ血相を変えて大泣きする。記憶に残ってはいないけど、両親の共通話題としてわたしとカープ は存在していた。
あたりまえのようにマツダスタジアムに通った中学生時代、わたしは男性アイドルを好きになった。デビューしてまもないジャニーズWESTを広島という偏地で追いかけていた。
ともだちと試合を見に行った日曜日。モニターに映る野村祐輔を見て「のんちゃんに似てるよね」と言い合った。あのころのわたしはまだ、小瀧望のことをそういった愛称で呼んでいた。いまはなんだか恥ずかしくて呼べない。なんでだろう。
一塁側の赤い椅子に座って「のんちゃんはノンスケだし、野村はノムスケなのも似てるね」とけらけら笑い合ったあの瞬間は、わたしの宝物のひとつだ。
時間は、すべてを変えていく。わたし自身だってあのころと変わっていないように思っていても、べつの誰かから見たら確実に変わっている。ほら、もうわたしは小瀧望のことをのんちゃんと呼ばないんだし。
あのときいっしょに笑い合ったともだちは徐々に試合を見に行かなくなり、カープのことも話さなくなった。
ノムスケも一軍の試合であまり見なくなったし、わたしも広島を出てからカープ戦を見る機会が減っていった。
ぜんぶ、思い出になっていく。
ノムスケが引退すると聞いて、そうか、もうそんなに経ったのかと時の経過を目の当たりにした気がした。
わたしの体内時計は中学生で止まったままのような気がしていたけど、わたしたちは確実に歳をとっていて、歳を重ねたエースピッチャー、野村祐輔は2024年に引退を選んだ。ただそれだけのことだった。
ノムスケ、もう35歳なんだって。信じられないよ〜……まあ、堂林が選手会長なんだもんなあ、そりゃ、そのくらいの歳かあ……。歳、とったんだな。
わたしはもう、「まってかとー」と言わない。スライリーを見て泣くどころか、グッズを見たら思わず財布と相談してしまう。
大人になった。
ノムスケが気づいたら35になっていたように、わたしも気づけば20歳を超えた。マツダスタジアムより、アイドルの現場に足を運ぶようになった。小さいバッドを叩いた回数を、ペンライトを振る回数が上回った。
堂林の応援歌が「広島のプリンス」じゃなくなったということは知っているけど、新しいほうは歌えない。
だけど、テレビでカープ戦がやっているとつい見入ってしまう。
8月末、近所に住む阪神ファンの男の子に「お姉ちゃんはカープが好きなんよ」と言うと「カープ強いやん」と言われた。うれしくてカープ自慢をしながらいっしょに阪神戦を見た。彼は阪神の選手を説明してくれたので、わたしもカープの説明をした。その日は堂林がタイムリーヒットを打ち、わたしは男の子にウザがられるくらい「このひと!このひとお姉ちゃんがずっと好きなひと!」と叫び続けた。
その直後にこのあいだのボロ負け試合。連敗連敗、鬼連敗。なんだそれ、と思った。だけどなんだかちょっとおもしろくなって笑ってしまった。
わたしの知っているカープがそこにあるような気がした。もちろん優勝してほしかったけど、巨人だけには負けてほしくなかったけど、でもこれが、わたしが広島で見てきたカープだと思った。
どれだけ負けても、どれだけ最下位にいても、それでもだいすきなことがあたりまえ。それが、わたしにとってのカープだった。
ノムスケの引退で、わたしはいままで忘れていたマツダスタジアムの空気を思い出した。忘れていた、ではないな。思い出そうとしなかった。
野球は娯楽だ。小説や映画といっしょの、べつに人生で必要というわけではないけどあったらたのしいもの。
その娯楽に、わたしはいろんな思い出を詰めてきたんだと気づいた。
野球経験だってないし、教室にいる野球部の男の子は苦手だったけど、わたしは野球が好きだった。カープの野球が好きだった。
わたしはこれから、もっと大人になる。
中学生のときヒーローだったひとたちも、わたしとおなじように時間を重ねる。
もしかしたらいま以上に野球を見なくなるかもしれない。いつのまにか、知らない若手選手でレギュラーが埋まっているかもしれない。
それでもやっぱり、わたしはいつまでも「カープ」が好きなんだと思う。
マツダスタジアムに置いてきた思い出込みで、それらすべてをまるっとつつみこんで、好きなままでいる。
いくつになっても両親が「まってかとー」で笑うように、わたしを形づくったものの中にカープが存在している限り、わたしにとってカープは特別なのだ。
ぐちゃぐちゃな文章になっちゃったな。
とにかく、野村祐輔投手、12年間おつかれさまでした。あなたはわたしにとってずっとエースピッチャーです。
ということが言いたかったのでした。