可愛くなりたい
28歳も半ばになったのに何を言っているんだ。
という声が聞こえる。
でも私はいつまで経っても可愛くなりたいと願いたい。
「可愛い」は口にしやすい言葉だ。
高校の時なんて特に、何度言って何度言われただろう。
可愛いと言い合う女たちを馬鹿にする風潮があるが、これがね、驚くことに本当に心から可愛いのだ。
みんなそれぞれの可愛さがあって、可愛い以外の言葉は当てはまらない。
スカートを短くして、髪を巻いて、化粧をして、プリクラを撮って、私たちは皆可愛かった。
可愛いはとても楽しく素晴らしいものだった。
悲しいことに花の命は短いもので、大学に入ると私の可愛いは急速に萎んだ。
はじめての一人暮らしだったし、勉強が大変だったりしたのかもしれない。
高校生の時は、可愛いだけで生きていけたのだ。
そうじゃなくなった時、私は簡単に可愛いを捨ててしまった。
なんだかんだ言っているけれど、ただ単にめんどくさかったのだと思う。
とにかく私は可愛いを諦めた。
そして一度止まってしまった可愛いは、錆びついて動かなくなってしまった。
「可愛くなりたい」と再び思いはじめたのはいつだろうか。
明確に意識が変わったのは本当につい最近な気がする。
何がきっかけか考えてみると、1人の時間が増えて、YouTubeを熱心に見るようになってからだ。
元々、可愛い女の子が好きだった。
そんなに化粧をしないくせにメイク動画を見漁って、可愛いを摂取した。
コメント欄を見ると「可愛い」「可愛い」「可愛い」「可愛い」と、可愛いが溢れていた。
そうだ、可愛いは楽しく素晴らしい世界だった。
可愛いよ、もう一度私に力を...
そもそも可愛いとはなんだ。
人それぞれ答えがあると思う。
高校時代の自分は可愛かったと書いているが、他人から見て可愛いかはわからない。
可愛いと思う人もいればそうでない人もいるだろう。
見た目の可愛さというよりは、ニコニコしててハッピーで、悲しいことと言えば恋が実らなかったとかそういうので、とにかく可愛かったのだ。
今それになりたいかと聞かれたら、今はもちろん違う。今そうなったらヤバい奴だ。
可愛いはその時々で変わる。
今のなりたい可愛いは、華奢で、色が白くて、目が二重で、髪の毛がツヤツヤで、歯並びが良くて...
と、具体的なものとなった。
ルッキズムという言葉がある。
この言葉を知ってから可愛くなりたいと思う度になんだかモヤモヤっとする。
自分の中の可愛いが具体的になると共に、それを目指すこと自体が倫理的にまずいんじゃないかみたいな気持ちになるのだ。
でも私の中にはこうなりたい!という気持ちが確かにある。
納得した上で自分の目指す可愛いになりたい。
そこで、動機が重要なのかなと考えた。
どうしてそうなりたいのか。
昔は容姿でからかわれたり嫌な思いをすることが多かった。
今もまぁどうのこうの言われることもあるが、そんなに気にしていない。
自分のスタンスとしては、今の自分にそれなりに満足した上での可愛くなりたいなのだ。
何かを手に入れるためとか、何かから逃れるための可愛くなりたいではなく、ただ自分がなりたいと思う形になりたい。
可愛くなってどうするの?
そう聞かれても、どうするって、どうもしないけど...としか答えられない。
強いて言えば、鏡を見てニヤニヤしたり自撮りしたりするんじゃないかな。
28歳も半ばだが、可愛くなりたい。
29歳になっても、30歳になってもきっと可愛くなりたい。
長い時を経て動き出した私の可愛いよ、死ぬまで止まらないでくれ。
おわり