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いよいよSFな世の中で濁流に乗り切れずとも呼吸はしている

ドラえもんこそ出てきてはいないものの、家事は電化製品が肩代わりする。
思ったことをLINEで伝えて既読がつけば、それだけで意思の伝達が済んだ証拠となる。
古いスマホから新しいスマホへの移行も、手品のように一瞬で完了だ。

実際になにが起こっているか分からないまま、深く考えずとも生活が効率的にまわっていく。
AI のおすすめにあまのじゃくに抵抗しようとしたって、それすら見透かされているようで怖い。


一番怖いのは、もうこれらが抗えないほど生活に浸透しているところだろうか。この事実に思い至るとき、多少の吐き気はする。


古い時代の物語や映画の世界と反対の方向へ進んでいくと、逆に過去への憧れは増していく。

「大草原の小さな家」が好きだ。

ただ生きていくだけで精一杯で、季節に応じた仕事がやまほどあって、苦労して手作りした家や畑がいなごに襲われ、移住を余儀なくされたりする。

その時にしか会えない、手紙もなかなか届かない親戚と過ごすクリスマスパーティーは、どんな鮮やかさで記憶に残るのだろうか。


今そこに憧れて自給自足の田舎暮らしをしようとしたとて、調べ物はスマホでするし、スマホで写真を撮るだろうし、完成したらその生活を発信したくなるだろう。
そこから広がる面白さはあるのだろうけど、ああ、どうしても時代は前に流れているのだな。

それならば楽しく流されていこうと思うまでもなく、私たちは流されている。川にささった杭になろうと頑張る人もいるだろうけど、川は逆流などしない。こんな現代だって、もっと未来から見れば、憧れのエモい生活かもしれない。

そんなことを考えながら、今日もiPadで絵を描いては、Goodnotesでスケジュール管理をしている。

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