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それぞれがたった一人の惑星の住人

中学校に進学してかつての親友と何となく離れ、交友関係を広げながら気づいたことがあった。私の人間関係をすべて把握している人はもういないということだ。

誰かの話をしようと思ったら、その人の説明から入らないといけない。中学の同級生、地元の知人、親戚。家族とはもうすべてを話さないようになっていたから、どんどんその感覚が強くなる。

わたしは私でしかなく、誰にも完全に把握されていない。至極当たり前ではあるけれど、はっとした。

次の気づきもやってきた。私の目からみた出来事と、そばにいる誰かの目からみた同じ出来事の見え方が、まったく違う場合があること。
私がみた私の現実を、本当の意味で知っている人はいない。視力も感覚も違うのだ。目線は同一のものではありえない。


そうか、宇宙の中に独りぼっちの現実を、みんながそれぞれ生きているのか。


大人になってから、誰もが孤独だという前提で友人と会話したときに、まったく理解されず、彼女の中にない前提条件で自分が話をしていることを発見した。

私にはそれ自体が、それぞれがそれぞれの宇宙を抱えているということの証拠のように思える。


大切な人たちと一緒に、楽しく暮らしている。声をかけて集まる仲間もちゃんといる。
そのことと私が孤独であることは矛盾しない。

それぞれが与えられた条件のもと、偶然の出来事に対処したり、感じたりしている。とりたてて叫ばなくとも、そこにあるのが孤独なのかもしれない。

みんな孤独であるという点で、大きな一体感を感じることすらある。

分かち合えないもの同士、分かち合える部分はありがたく共有したい。

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