「成功体験」ってシンプルじゃないよね
「ほめる」と同様、よく使われるらしいワード
「成功体験」
もう現場で教えていない私だが、ニュース記事、教育記事の見出しで、最近ほんとーによく聞くようになりました。
「こどもに「成功体験」を与えたいんです」
「自己肯定感を育ませてあげたい」
はい!私も!でもこれを与えるのって、言葉で言うより難しいなあって思います。今日はそんな「成功」がテーマ。
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私の過去「偏差値40からの早稲田大学に合格!」バッチリわかりやすい成功体験もってるんですよ。
でも、問題がね・・・!
受験に合格するも、なぜか100%で喜べない自分です。
私は、当時は異様に完璧主義者でした。いや、ひねくれてた(笑)
365日のうち、勉強ができなかったわずか数日のことをいつも悔いていて、120パーセントの努力で目標に立ち向かえなかった自分をめちゃめちゃ恥じていました。
周りがおめでとう!って言ってくれるのに、苦笑いしてばかり。むずかしいですね。名目上の目標に達したとしても、満たされない感情が渦巻いていると、それって本人的には成功体験って言えないんだなって後から振り返ると思えます。
結局、自分が「成功」と認めた瞬間に、初めて「成功」なんですよね・・・
周りがいくらもてはやしても、「第一志望に合格」というレーベルがあっても、結局本人が「おれ、できた」「おれ、すごいかも」「おれ、ばかじゃなかった」って思えないと、それって成功体験とは言えないんです。
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ただ、受験期に私の成功体験的なものがなかったかっていうと、そんなことないんです。
私が成功のような、気持ちいい瞬間を感じたのはいつか。
予備校の授業を受け初めて数ヶ月のことです。
みるみる理解がふかまっていき、今までもやがかかって見えた、問題たちが急にクリアに見える瞬間があります。先生の明確な言葉で、案内してくれて、「ね?意外とむずかしくないっしょ?」と言ってくれるような。
これは、成功といえるかわからないけど、普段味わえないような感動が、体を駆け巡るのがわかりました。圧倒的にできないと思っていた問題が。
見える、わかる、理解できる。。。読めなかった文章が、ちゃんと読める。意図がわかる。。。
バッテリー切れだった自分に、急におしりにコードをセットされ、じわじわ電流がチャージされていく。今まで空回りしていた脳の電気信号が適切な回路で送られ、急に頭にポッと電気が灯るような・・・
って予備校のCMかよ(笑)でもそうなんです。
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あとは、受験直前期の冬。
今も忘れない、1年間ずっと受講した英語講師の最後の授業。
まあ、その先生も変わった人でですね。とっても皮肉がきいているというか、いつも受講生を、バカだの、アホだの、散々コケにして、バカにしては、「なんでこう考えられないの?」とニヤニヤしながら解説する先生でしたよ、今頃ハラスメントでクビになってますかね?(冗談です)
授業終了10分前でした。
「・・君たち、本当によくやってきたね」
急に力説し始めたのです。
え?なに?改心しちゃったの??そう思うまもなく。もうね。真剣そのものでした。やられました。説得力すごい(てか、頭いいんですもん彼)。もう、私、涙と嗚咽が止まりません。思う壺です。サテライト授業だったので、7、8名が座る小さな教室、きっと目に涙を浮かべ堪えていた生徒も多かったはずですが、それ以上に私のきったない涙と鼻水の音が響きわたり・・・恥ずかしいったらありゃしませんでした!!もう滝のようです!!
だって、辛かったんだもん!!!!
あの瞬間ですね。私は自分の努力を認められたというか、これで散っても、もう満足だな、よくやったな、って。そう感じたような気がします。
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結局何が言いたいのかわからなくなったのですが、成功って他人に作ってもらうものじゃなくて、自分で認めたり、感じるものなのかなーと。
そして、ずっと見てくれていた人に「おまえ、すげえよ」って、私の努力を認めてくれたこと、そのエネルギー値は半端ないなってことでした。
先生になった今、私も子どもに成功体験を死ぬほど味あわせたいけど、結局昔も今もピエロみたいにくるくる生徒の前で回るしかない、私でした
みなみ先生
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