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中継地 #8
また曲を作る。
山肌迫る谷道をバイクで駆け抜けながら、前日に読んだ漫画のことを思い出す。それは学生の頃に好きだった作品で、アニメ化やドラマ化などによって不必要に濁ることがなく、純粋な記憶の結晶のような物語だった。
ライダースジャケットの袖から忍び寄る冷気のせいか、よく冴えた頭にひとつのメロディと構想が降りてきた。
それを何度も復唱し、補修し、螺旋階段を上がるように発展させていった。
休憩所に着いて、それが消えないうちにボイスメモを立ち上げてメロディを口ずさむ。そしていったんすべて忘れる。
身体は芯から凍えていて、温かい蕎麦を所望した。
数日後、ボイスメモのことを思い出す。
風の音に紛れてボソボソと聴こえる頼りないメロディが鍵となって、僕はすべてを思い出す。
PCを開いて、アレコレ試行錯誤する。しかし山間でスピードと共に感じたあの煌めきがどうにも再現できない。
いったんリセットするために、装飾を削ぎ落としたイメージのみを正史とする。ギターを持って適当につまびく。カポタストを何度も付け替えて、様々な調に飛び移る。
やっと見つけたそれは、淡く儚くも「輝き」であることを明確に伝えるだけのエネルギーを持っていた。
安心して、シャットダウン。
目に見える成果を得ることが前提であるといった価値観は主流である。それは疑うべくもない。
しかし僕にとっての音楽は、こうしてこの世にデモ音源という一段階目の形を与えた時点で及第点だ。できた曲を何度もリピートして、メンバーに送って、感想を伝えてもらって、それでひとつの到達点だ。
それ以降は次のお話だ。
何においても、思うようにいかなければやめてしまうひとは多いと思う。しかし僕にとって音楽はその限りではなく、目標がなくとも毎日当たり前に楽器を弾くし、ふと思い浮かんだ世界観には生命を与えるし、その先に何かを求めているわけではない。
その先に何かが待っているのであればそれは素晴らしいことであるが、その先に何かが待っているがゆえにそれをするわけではない、といった感覚。
ほとんどのひとには刺さるべくもない音楽ばかり作っている。だからこそ仮に僕たちの音楽が刺さるひとがいるのであれば、僕たちの生命の限りそのひとに刺さる音楽を提供することは保証できる。