スパイ映画とbar

1940年代、人々が第二次世界対戦に翻弄されていたことは歴史の教科書で誰もが学んだことだろうが、その渦中、特にヨーロッパで各国の諜報部員が暗躍していたことはご存知だろうか。それを裏付けるように、現在では1940年代を背景としたスパイ映画が数多く存在する。

それらスパイ映画のある一場面を想像していただきたい。スパイとそのクライアントが町外れのバーで密会し、秘かに情報交換をしている場面である。この場面においてのバーの設定というのは、客がたくさんいて騒いでいる所というよりは、物静かな雰囲気でカウンター越しに無口なバーテンダーがグラスを拭いているのが見える…そんな設定を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。前置きが長くなったが、この物静かなバーで出されるお酒は最高に美味しいのではないかというのが筆者の見解である。

カクテルを作る工程というのはシンプルであるからこそ奥が深いというのを聞いたことがある。バーテンダーがシェイカーを振る姿はお酒に疎い方でも想像できるだろう。シェイカーの中に材料と氷を入れ、材料を冷やしながら混ぜ合わせ、調和させることでカクテルが出来上がる。一見簡単そうだが、バーテンダーはシェイカーを振っている間に、シェイカーから指に伝わる微妙な温度変化や氷が溶けるとこで僅かに変わるシェイク音の違いなどを察知して、ベストな状態のカクテルをグラスに注ぐそうだ。

シェイカーを使う以外の手法だと、専用のビーカーと匙を使い、材料と氷を混ぜ合わせカクテルを作るステアがある。シェイカーを使う手法よりステアの方が、工程がシンプルだからこそ、さらに高度な技術がいるようだ。匙は熱を伝えやすい金属で出来ているため、指先の熱をすぐに材料や氷に伝えてしまう。匙の扱い方ひとつで熱の伝わり方が変化し、かき混ぜていたとしても、材料同士が調和しないことがあるらしい。調和していないときは液体にもやがかかるため、それを目でも確かめているそうだ。また、混ぜるのを止め、グラスに注ぐベストなタイミングは一般的にカクテル香りが立った時とされ、バーテンダーの嗅覚だよりになってくる。

シェイカーにせよ、ステアにせよ、結局のところカクテルの味の決め手はバーテンダーの五感だよりになってくる。もし、バーの雰囲気が騒がしいものだったら、バーテンダーの聴覚は使い物にならなくなる。さらにクラブのように客が踊っていおり、汗や香水、タバコの匂いが充満していたら嗅覚までも失ってしまう。また、静かなバーであってもシェイカーを振るバーテンダーに逐一話しかける客がいたらいうまでもなく興ざめである(シェイカーを振っているバーテンダーには話しかけてはいけないことは一般的な作法である)。

ここで文章序盤のスパイ映画のバーの話に戻っていただきたい。スパイとそのクライアントはカクテル(ベタにマティーニとでもしておこう)をバーテンダーに頼んだ後、静かではあるが情報交換に夢中になっているに違いない。この誰も干渉してこない静寂の中で、五感を集中させることができる状況のバーテンダーが作るカクテルは最高に美味しそうではないかと、ただそれだけの話である。

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