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やらない後悔より、やる後悔

今日は、「人は思ったより見てくれてはいないが、がっかりするほど見ていないわけではない」というお話。

いろいろがんばってやっていると(特にボランティア)、ついついなにかしら見返りを求めたくなるときがある。
#にんげんだもの

基本的には好きでやっているし、功利主義でもないが、たまに結構大変なことをサラッと当たり前のように頼まれたりするときがある。

そして、その頼まれごとを滞りなく終えたとしても、「あざーっす」で終わってしまったりする。

別にもっと感謝してほしいとか何かほしいとか首もとまでは出てくるが言わない。ただ少しモヤモヤは残る。
#普段はそんなこと一ミリも思わない

そしてそんなモヤモヤも一晩寝れば忘れてしまう正確なのでまた日々の生活に戻る。

そんな生活を繰り返しているのだが、たまに後からそのモヤモヤが良い形になって還ってくることがある。

先日かかってきた一本の電話でのやりとり。

お客様「突然すみません。以前、市の事業に一緒に関わっていたものなのですが、住まいのことがあったら石井さんに相談しようとこっそり思っていて電話させてもらいました」

なんの事業だったかも覚えていなく、少し話を聞いてから思い出した。

私「あー!あの事業のときの!目的を達成することしか考えていなかったのでなかなかお話はできませんでしたけどなぜ私に?そもそもなぜ不動産屋さんと知っていたのですか?」

なぜそんなことを聞くのかというと、地域活動やボランティアの時は自分から会社名を言うのがなんだかそぐわないと思っている小心者なので個人的な話の時以外はそのときに必要でないことは言わないことにしている。
#かわりに宣伝を心からお願いします 🙇


お客様「人がやりたがらないことにこんなに時間を使えるなんてどんな変わった人だろうかと少し調べてみたんです。」

ほ、褒められているのか?

と思いながらも実際相談にきてくれた行動からポジティブにとらえることにした。

このことから分かるように、頼まれごとは試されごとであり、起きていること、降りかかってくることには全て意味があるのかもしれない。

結果がすぐにでるものもあれば、後からやってくることもあるだろう。

取り組んでいた事業をいい加減にやっていたらおそらく相談もされなかったのではないかと思う。私ならしない。

目の前のことに一生懸命取り組めば、見てくれる人は見てくれている。

私を見て!という思いでやっていると見てくれないのだろう。

特にそんな期待せず、与えられたミッションを楽しみながら120%の出来でコンプリートしてみせる!くらいの気持ちで取り組めたらいいのかもしれない。

やる前から、やらない言い訳をする人もいる。

行動の先には吉とでるか凶とでるかはあるだろう。

ただ、長期的に見れば、成功か成長しかない。

私はそう思う。


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