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就活失敗した底辺私大卒が海外駐在を獲得するまで(その3)

自分の力ではどうにもならない事がある。

 よく言われる事ですが、私自身はその言葉について実感を持った事がなく、理解できていませんでした。

 就活を失敗した事で希望の会社には入れなかった事や入りたかった大学に入れない事は、自分の力が足りていないからと解釈できます。
そうではなく、社会人になり組織の中で自分の意思とは無関係に何をやってもこの環境を変えるのは難しいとなってしまった場合、どうすればいいのでしょうか?
 20代のうち、会社生活ではいろいろな可能性があるように思えていた事も、実際にはそうではなかった、新卒入社した会社で限界が少しずつ見えるようになってきます。
今回は私がそんな現実に直面し、自分自身の人生について選択を考え始める話です。

4年目で起きたチャンス

 どれだけ営業に自信が無かったり、向いていない人でも仕事をしていると一度か二度は大きいチャンスに出会う事があります。私の前職の中でハイライトといえる仕事は2回ありました。
社会人4年目の時、あるメーカーさんの製造設備で大きな事故が起きました。
 幸いにしてその事故では死亡者こそ出なかったものの、再稼働がいつになるかわからない状況になってしまい、国内外で使用されている製品が欠品してしまう状況が発生しました。
 これまで私が所属していた会社では、その事故を起こした会社の製品の取り扱いはあるものの1、2社程度。メーカーからするとその商品ではマイナー商社でした。しかしどういった需要家に販売をしていたかは情報を掴んでおり、即座に代替品輸入に向けチームで動き出しました。
 「お役に立てませんか」
トラブルの一報が入ったその日の午後イチ、普段は別の商材でお付き合いをしていた取引先へ代替品輸入を提案。今オーダー頂ければこの価格で在庫を確保できます、とお伝えしました。
あまりに差し迫った状況でしたがお客様は「少々お待ちください」と電話を切った三分後には注文書を送ってきたのでした。

一撃30百万円の大型案件


このような仕事を進める時は1分1秒が命取りになります。事実、海外のメーカーには私たち以外にも引き合いが殺到しており、P/Oを出すのが30分でも遅ければ海外の在庫は無くなっていた状況でした。
こうして獲得したオーダーですが一回の注文で何と売り上げは3,000万、粗利も安全を見たため一回の注文、一回の数量としては凄まじい金額になりました。
 チーム内や社内の他のお客様にも緊急輸入を行い、ボロ儲け。
国内メーカーには申し訳ない部分もありましたが、まさに火事場泥棒とはこのことだったと思います。
 それまで小さい案件での新規商売をまとめたことは何回かあったものの、大きく儲かることは出来ておらず、4年目の担当者としては手応えを感じることのできた案件でした。もちろん周りに助けてもらった上でのラッキーパンチのような実績ではありますが、社内でも注目され充実していたと思います。
 この時はそんな成功体験もあり、申し分ないように思えたのです。

評価面談での違和感


 その年の上司との評価面談のことです。大きな仕事を決め、担当予算を上回る実績を取れることは確実でした。そのため上司には自信満々で高い自己評価点数を付けて提出をしました。
上司との面談で言われたことは私にとって衝撃の内容だったのです。

「この点数での提出を認めるわけにはいかない。修正してほしい」

私は耳を疑いましたが、上司曰く部署全体の実績は全社内ではトップではない為、調整する必要があるというのです。また私の実績もまだまだだということまで言われ、正直納得はいかなかったものの、期待されているのかなと思い大人しく従うことにしました。
当時の会社では私たちの部署は特殊材料の扱いが中心の部署であり、数量や利益額も大きい部署は別にありました。そうした部署間・部長間でのバランスを考慮した結果だという説明を受けたものの、後に人事部の中堅社員と話をする機会があり、こうした対応がおかしいということもわかりました。私個人として、自分の所属している部署、会社に不信感が芽生えたのはこの時からだったと思います。
 私自身がこうした状況であまり大きく反発できなかったのには理由があります。最初の部署で私は「使えない」と評価を下され、異動をさせてくれたという負い目がありました。今考えるとそんなことを気にする必要は無かったのかもしれませんが。これを読んでいる方の中にも異動や入社の「恩」を気にして仕事の割当や人事考課の結果に自分の要望を言い出せない方もいらっしゃるのではないかと思います。
 実績があっても高い評価をもらう事ができない状況もストレスがかかりましたが、そもそも入った会社は大手総合商社の子会社でした。
たかだか100名、200名足らずの小さな会社の中での都合で自分がしんどい思いをするだけでなく、もっと言えば親会社の都合に合わせて会社自体がどうにでもなってしまうようなものでした。
 部長以上は立派な大学を出て親会社で相当な待遇をもらっている社員が出向してくる。それ故にプロパーが課長になれるかどうか、という環境でした。社長・役員は定期的に親会社からの出向で交代しその度に経営方針が変わります。一人のサラリーマンに決められる事などそこまでないのはどこの会社でもそうかもしれませんが、入社した会社が違う人たちに物事が決められていく、というのは言い表す事ができない感覚です。
 この頃から転職という可能性を少しずつ考えるようになりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。

(続く)




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