『はしもとせいこ』

 みなみです。
 財閥系の専門商社で5年間、その後転職しメーカーで営業として4年勤務、そのまま海外駐在を拝命し現在に至ります。
今回のお話は私が大手商社(5大)の子会社にいた時の話です。
タ イトルだけ見ると何なんだと思うかもしれませんね。
 

駐在帰りの酒好き上司

 その当時仕えていた上司は東南アジアの駐在地から帰ってきた人でした。
私の会社は総合商社の子会社で、社員数200名程度。子会社単独では海外拠点などは持っていません。更にこの上司はいわゆる「プロパー」の人で親会社の出向者ではありません。では彼はどうやって駐在に行けたのか?
当時、子会社からの逆出向の形で親会社の拠点に駐在に行く事がありました。2−3名ほど派遣していたと思います。

「何だ子会社でも海外駐在のチャンスがあるんだ」

ここまで読んでそう思った方もいると思います。確かに総合商社の子会社と言っても組織やビジネスの大きさはそれぞれかなり異なります。
自社の拠点としてあるいは親会社が持っている拠点への逆出向の形で子会社プロパーの人間を派遣するケースはあります。
ただ、私が勤務した会社の場合、一見良く見える海外駐在も、本人たちはいろいろな苦労があったようです。
逆出向したからと言って待遇がそこまで上昇するわけでもなく、更に言えば親会社の序列の中に存在しない「外様」の人たちは場所によっては現地採用の外国人社員と同じような扱いでもありました。ひどく雑用をやらされたりという話もありました。一方で自分のもともと所属していた会社では数百人に一人の狭き門をくぐり抜けた事で、プロパー連中からは何か成果を出して帰ってこいとか、行かせてやってるんだから感謝をしろ、というような雰囲気がありました。
 そんなチャンスはあるにはあるがあまりコスパの良くない海外駐在から帰ってきた40代上司が本社へ帰任し、私の上司となりました。
彼は東南アジアの親会社の拠点で徹底的に「親会社」流の仕事のやり方を学んでおり、まあまあ勉強になる事も多かったです。ただ仕事だけでなく、宴会や会食も元々の会社には無いようなやり方を持ち込んで帰ってきました。
 親会社のせいというよりは上司自身が飲むのが好きだったのはあると思いますが、私は毎週のように彼と飲みに行くようになりました。私自身も海外駐在をしてみたいという思いが当時あり、この駐在帰りの上司についていくのが近道だと思っていたのです。

人形町のスナック

「俺と一緒に駐在してた人達を紹介するから」
いつものように上司から飲みに行くぞと言われついていった日のことです。
彼とよく行っていたのはリーズナブルなスナックが多く、お客さんとの二軒目もそうした店になる事が多かったです。その日は親会社の人間で上司と同時期に駐在していた人たちを紹介する、と言われお会いする事になりました。
 親会社の人間…と言っても確かに自分の会社にも何人も出向者がいますし業務上も親会社の方とやりとりする事は多くありました。なのでそこまで特別な事というわけではなかったものの、少し楽しみな部分もありました。
人形町の若干奥まったスナックが集まった店に入ると、二人の方が待ち構えていました。
 二人とも帰任をされていましたが、一人は当時50代の室長(総合商社で室長の肩書がつくかつかないかは極めて大きい壁)阿部寛を思わせる妙な男らしさを漂わせていました。もう一人はその時確か40歳くらいだったと思いますが、非常に体格が大きく、鈴木亮平が目つきが悪くなったような顔でした。
 どうもどうもとカラオケで飲み始め通りいっぺんの話を終えたのですが、ガンガン飲みが始まる。ペースも喋りも早いのです。とにかくエネルギーがある人たちでした。場の雰囲気がだいぶ暖まってきた時、私の上司が言い出しました。
「コイツ(私のこと)の勉強ためにあれ、見せてやってくださいよ。橋本聖子!」
橋本聖子、と聞いても全く意味不明ですが、それを聞いたしょうがないな、とばかりに鈴木亮平似がすっと立ち上がり、彼の前にハイボールがジョッキで2杯置かれました。

「せいこっ!せいこっ!は・し・も・とせいこっ!」

上司の意味不明な掛け声と共に、鈴木亮平似はスピードスケートの選手がやるように腕を前後に降り始めました。そのままハイボールジョッキを両手に持つと口に運んでいくのです。
「橋本聖子」の真似をしながら掛け声に合わせてジョッキで酒を飲む芸をしているだけなのですが、大盛り上がり。凄いスピードで酒が無くなっていきます。私はただただ呆気に取られました。
鈴木亮平が2杯のジョッキを空にすると、私の上司から声がかかりました。
「いや〜ありがとうございます!よしお前、今のを見て覚えただろう、やってみろ」
見よう見まねで私もトライしてみるのですが、掛け声に合わせて飲むのが難しい。というか殆ど口に入らないし、何なら酒がこぼれていくのです。
そんな私の様子を見てゲラゲラと大笑いをしながらまだまだ修行が足りんなと笑われるのでした。
 さて、その後も歌えや飲めやの大騒ぎ、鈴木亮平似と腕相撲を取って思いっきり負けるわ、阿部寛似の室長はダンディすぎてスナックのママが完全に落ちるなど収拾がつかない有様で、当然のように終電を逃し、最後は日高屋で締めの飯を食べて午前2時に解散となりました。

次元の違う戦闘力を持ったビジネスマン集団

 私が総合商社の人間に畏怖と尊敬の気持ちを持ち続けているのはこの時の経験が大きいかもしれません。当然のことながら昼間の仕事では彼らは社内外で利益を出すために詰める/詰められまくってますし、私たち子会社の人間たちにも全く容赦はありません。ですが、単に仕事ができるとか、そういう次元では無いのです。宴会、遊びも物凄いエネルギーでこなす集団…少なくとも私が会ってきた親会社の人たちはそんな人でした。
それにしても今いろいろと聞いているとだいぶコンプラ重視で人にも優しい会社になっていたりするのかなと思いますが。
 2010年代にはまだ昭和、平成初期の魂を感じる(人によっては嫌だと思いますが)商社パーソンがうようよいたのでした。
私も子会社ではありましたが、どことなくそういう空気はあり、年末の社内の忘年会などでは出し物はもちろん、人を楽しませるために全力でやっていたのが懐かしく思い出されます。
 そんなことが何になるのかと思われる方もいるでしょうし私もそう思ったことがあります。飲み会で雲龍型だ不知火型だの仕事に何の役に立つのか。
ただ、メーカーはまだしも商社では提供するサービスにそこまでの差がない場合、やや業務と外れたことでどれくらい出来るかがお客様を楽しませることに繋がっていて、取引関係の発展に役立つことも否定できません。
 今私はメーカーの立場でお客様を接待することもあれば逆に商社の方から接待を受けることがあります。きつい飲み会になるとふと「橋本聖子」のことを思い出します。

ではまた。


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