贈られたエンデの本
先日いただいた本の一つにミヒャエル・エンデの『魔法のカクテル』がありました。
アマゾンのほしいものリストを通じて送っていただいたので、元々わたしが指定した本ではあるのですが、『魔法のカクテル』が選ばれるとも限らなかったので、これが届いた時は嬉しかったです。
エンデといえば『モモ』や『はてしない物語』などが有名ですよね。
わたしもこの二つは持っていて、今でも時々読んでいます。
『ジムボタン』も家の本棚の中にあるのかな?
でも、わたしの記憶にはあまり残っていません。
『モモ』は小学生の頃に中学受験もしないわたしが何故か学習塾に通っていて、その時の国語の先生にいただいたものです。
先生が薦めてくれたのか忘れましたが、とにかく借りて読んでみたら面白くて、返す時に「とても面白かったので、買おうと思います」なんてことを言ったのだと思います。
まあ買うと言ったのかどうかは、もはや記憶にないのですが(わたしは基本的に細かいエピソードを忘れるタイプです、思い出とか見事に詳細を思い出せないタイプ笑、最近のことでも平気で忘れる)、とにかく面白くて気に入ったこととか話したのだと思うのです。
そうしたら先生がこれをそのままくださったのです。
わたしは貰うつもりなど全くなかったので、とても驚いたことはよく覚えていて、まあきっと小学生に買わせるなんてと思われたのか、「いい、いい、これあげるから、大切に読んでね」と言われたことは覚えています。
『はてしない物語』はエンデ作品が好きなのだろうと思った親がその後買ってくれました。
『はてしない物語』も勿論好きなのですが、『モモ』ほどスムーズに読めなかったのですよね。
それは大人になってからも同じで、よく読み返すのは『モモ』なんですよ。
つい最近も読み返しました。
そして、『魔法のカクテル』
これは面白く読めるファンタジーでした。
面白い。
ファンタジーとか魔法とか、そういうのが好きな人で、ちょっと日々に疲れちゃったなーなんて時に読んでみてください。
軽く楽しく読めるので。
それに主人公が魔術師・魔女・ネコ・カラスだし。
その設定だけで十分魅力的。
でも、この楽しく読める物語にもエンデはちゃんとメッセージをこめているのですよ。
『魔法のカクテル』では魔術は悪い方で使われていたけど(あれ、ちょっとネタバレ?)、魔法や魔術というか、それに代わるものこそ、良いことに使有文だよなーって思いました。
魔法に代わるものって、なんだろう。
技術とか科学とか人間心理を操ることとか?
ちょっとありきたりなものしか挙げられていないけど。
さてさて、このエンデの本。
人からいただいた、ということがポイントだなと感じました。
無意識でもらった『モモ』
意識してもらった『魔法のカクテル』
(選ばれなかたことを加味すると、無意識とも言えるのかな??)
『モモ』は内容的に、既にわたしにとっての「人生の作品」となっている本の一つですが、『魔法のカクテル』はその受け取った過程までを含めて、わたしにちょっとした影響を与えてくれた本になりました。
『魔法のカクテル』をリストに含めておいて良かった!
色々なことを忘れがちな自分にとって、受け取ることの心地良さと嬉しさとワクワクを感じさせてくれて、そのことを今後も思い出させてくれるんじゃないかなと。
罪悪感じゃなく、自己卑下でもなく、もらうことは心地良くハッピーなのだと。
確かに「もらう」ということは、無意識的であっても意識的であっても、「もらう」それだけで済まされないことだって勿論多々ありますし、単順に対価として発生しただけというケースだってあります。
(対価として発生することの方が多いかな)
それでも「循環だから気持ちよく受け取ってください!」という言葉と共に、意識的に受け取ったこの『魔法のカクテル』によって生まれた、受け取ることの心地良さとワクワクといった、この感覚はいつまでも忘れちゃいけないと思いました。
もう1冊いただいた本があって、そちらを今読んでいるのですが、わたしにとっては難しい箇所があるものの非常に興味深く読んでいます。
シュタイナーの『星と人間』
今日は外出する予定でしたが、わたしの住んでいる所はとんでもない強風で、花粉症のわたしは「出かける=死」を意味するので笑(いや、本当に。今年も花粉に負けました、、)、おとなしく家にいて『星と人間』読むことにします。
そう、いただき物のシュークリームもあるから!
ありがとうございます。
カラスとネコが主人公なんてツボすぎる『魔法のカクテル』
表紙が少し削れてしまっているけど、美しい本だなあと感じる『はてしない物語』