第14回 〈その後〉を生き延びること 小松原織香
2015年の秋、私は初めての水俣訪問に向けて土本典昭監督『水俣 患者さんとその世界』を視聴した。映画の終盤、チッソの株主総会で、患者の浜元フミヨさんが両手に親の位牌を持って社長に迫った。水俣病で両親を亡くした苦しみを訴えたのだ。
「わかるか、おるが心。おるが心、わかるか」
切なる叫びを聞きながら、私は身動きできなかった。スクリーン上の患者さんに、同情ではなく自己投影をしていた。
私は19歳のときに性暴力の被害に遭った。その後、七転八倒しながら日常生活を取り戻し、大学院に進学した。映画を観たのは、性暴力に関する博士論文を一通り書き終え、提出に向けて校正をしている最中だった。自分なりに過去を乗り越えてきたつもりだったのに、全身から加害者への怒りと憎しみが溢れ出して止まらなくなった。
浜元さんの苦しみに比べれば、私の身に起きたことは大したことではないと思う。それでも、加害者への殺意で心がいっぱいになるほど、私にも恨みの感情に支配された日々があった。あんなふうに「私の心がわかるか!」と叫びたかった。封印したはずの情念がよみがえり、過去に引きずり戻された。
「あの人たちは、その後、どうなったのだろう」
映画を観た後に、最初にそれが気になった。望む、望まないにかかわらず、生き延びた人は時間の経過とともに変わっていく。私は〈その後〉の水俣が知りたかった。
それから8年近く、今に至るまで私は水俣について研究することになった。その後の患者さんたちの生き様と死、美徳、醜い話、揉めごと、人間関係の破綻、新しい取り組み、失敗。新参者の私は何を聞いても右往左往し、「それはどういうことなんですか」と心の中で繰り返す。いつも過去の出来事が今の水俣につながっている。変わっていく地域の歴史を追いながら、私はあのときの患者さんたちの声が耳から離れず、水俣の研究を続けている。
(こまつばら・おりか 環境哲学)