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第20回 自ら恥じない心で 杉田俊介

 川崎市で障害者介助の仕事を10年ほどしていた。その頃、土本典昭さんの作品をよく観ていた。水俣の「外部」の非当事者である土本さんが、水俣の患者さんたちにいかに向き合ったか。その問いと、自分が日々の仕事の中で出会う障害者にいかに向き合えばいいのか。その問いを重ねていた。土本さんの原点には、「自ら恥じない心で」という感覚があった(『[新装版]映画は生きものの仕事である』)。
 相模原の障害者殺傷事件のあと、筑豊地方にある「ちくほう共学舎虫の家」という障害者を支えるNPO法人に招かれて、話に行ったことがある。ケア労働者の中からそうした存在を出してしまった、という恥ずかしさの思いが介助現場に広がっていた。
 翌日、熊本県立美術館分館の「水俣病展2017」を訪れた。有名な展示「記憶と祈り―水俣病死者群像」に衝撃を受けた。土本さんと助手の青木基子さんは、水俣の死者をアウシュヴィッツや沖縄戦の死者とも重ねながら、石のような患者さんたちの沈黙に向き合い、「石でさえ叫び出すであろう」と書きつけた。相模原事件の犠牲者の方々の名前や写真を出すべきか、をめぐる議論が思い出された。
 川崎へと戻る飛行機の中で、再び相模原事件について考えていた。「自ら恥じない心で」という土本さんの言葉に、イギリス委任統治期のイスラエルに生まれたパレスチナ人であるエドワード・サイードの言葉がふと重なった。
 「知識人(アマチュア知識人のこと―引用者)がなすべきことは、危機を普遍的なものととらえ、特定の人種なり民族がこうむった苦難を、人類全体にかかわるものとみなし、その苦難を、他の苦難の経験とむすびつけることである」
 たとえ部外者であっても。あるいは非当事者であっても。あるいはそうだからこそ。他者の苦難と自分(たち)の苦難を繋ぎ合わせて、「人類全体にかかわるものとして」受け止め続けること。あらためて自分の暮しの足元を見つめながら。自ら恥じない心で……。

(すぎた・しゅんすけ 批評家)


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