第16回 あの日のウニから 梁取優太
ウニが苦手だ。食べられないわけではないが、自分から進んで食べることはない。しかし一度だけ「これは!」と感じたウニがある。
大学院生だった6年前に初めて水俣を訪れた。海岸で貝拾いをした際、1匹だけウニがとれ、地元の方が味見させてくれた。学生7人ほどでスプーンの先にほんの少しずつであったが、プルンとした食感で、生臭さはなく、海水の塩味もほんのりあって、その美味しさに驚いた。以来、何度かウニに挑戦してみたが、あの味を超えるものはない。
石牟礼道子の『食べごしらえ おままごと』に「ぶえん」という言葉が出てくる。昔は流通が発達しておらず、魚を山間地に運ぶのに多くの塩を振っていた。「無塩」と書き、塩を振る必要がないぐらい新鮮という意味だ。また『苦海浄土』には、舟の上で、海水で炊いたごはんが潮の風味もあり、とても美味しいという話も出てくる。あのウニは、こうした石牟礼の描いた世界と重なり、味覚だけではない、キラキラした自然との接点として、心に残っている。
石牟礼は人間と自然との関わりをしばしば書いている。今ではすっかり見られなくなってしまった、とても豊かな世界だ。こうした世界は水俣に限らず日本中にあったはずだが、開発によって壊されてしまい、私たちは自然の恩恵を感じにくくなっている。そうした人工的な環境であっても、私たちは生存することはできるし、現に生存している。コンクリートの上しか歩いたことがない小学生がいるという話さえ聞いたことがある。地震や豪雨といった自然災害があれば、自然は恐ろしいもののように扱われる。本当に恐れるべきは、人間が作り上げたものなのに。
水俣病の経験から現代を問う活動に惹かれて、3年前水俣フォーラムの職員になった。私の水俣の原体験ともいえるあのウニから、水俣の豊かさや自然の恩恵、自然との共存についても伝えるなど、自身の経験を水俣フォーラムでの活動に昇華していきたい。
(やなとり・ゆうた 水俣フォーラム)