見出し画像

どこまで行っても同じ町

山内マリコさんの小説『ここは退屈迎えに来て』の中に、こんな一節があります。

「取材を終えた車は夕方のバイパスを走る。大河のようにどこまでも続く幹線道路、行列をなした車は時折りブレーキランプを一斉に赤く光らせ、道の両サイドにはライトアップされたチェーン店の、巨大看板が延々と連なる。ブックオフ、ハードオフ、モードオフ、TSUTAYAとワンセットになった書店、東京靴流通センター、洋服の青山……」

四国の田舎にある私の実家の周りは、一面の田んぼにぽつぽつと並んだ一戸建て、老朽化した団地があります。ただ、そこから車で5分走れば、まさに上に書かれているような光景の幹線道路へ抜け出すことができます。こういったファスト風土化された光景にしらけながらも、家庭で嫌なことがあったときなんかは、この「ファスト風土通り」の明かりが救いになったことも正直あります。友達とガストで夜遅くまで喋っていると「どこでもないような場所」に居られるような気がしたからです。それは多分「どこにでもある場所」だったからなんだと、今になって思います。

私がこのnoteを書いたのは、Twitterのつぶやきがきっかけでした。フォロワーも60人程度で、独り言ばかりつぶやいている私ですが、社会学者の岸政彦さんの引用RTとしてつぶやきを投稿した途端、いいねやRTがひっきりなしに来ました(そういう世界は大変難しく感じ、今では鍵付きの愚痴ばかりのアカウントに戻りました)

やっぱりこの感覚に共感、もしくは興味を抱く人はたくさんいるのだなと感じました。18歳〜大学進学のため東京に来て、もう6年になります。

まだ背丈も小さく、祖母の手を離さないようにぎゅっと握ったまま、人混みを掻き分けていったときの感覚を今でも覚えています。お正月の買い出しのため、年末に地元の商店街を歩いていたのです。両端に個人店がひしめき、魚屋の主人に値段交渉をしているおばさんがいます。私はワクワクしていました。多分1998年とか99年あたりのことだと思います。

それから10年ぐらいが経ち、高校生になってからふと商店街へ行ってみると、10年前の面影は一切なく、人の気配の消え失せたシャッター街になっていました。

その頃同じ県内には、イオンモールのような大きなショッピングモールが3つも4つもでき、駅前に唯一できたスタバに長蛇の列ができる光景が、ローカルニュースで放映されていました。高校を卒業すると、免許もとらず私は東京に出ました。

一駅ごとに町の雰囲気が違い、駅前の商店街は賑わい、個人店にも口コミで人が集まる。こんな東京の光景を目の前にして、私は都会に出てきたはずなのに、タイムスリップしたようなノスタルジーを感じました。田舎から都会に出てきたはずなのにノスタルジーを感じるという、奇妙な倒錯がここで起こっている訳です。これは多くの上京者が無意識に味わっている感覚なのではないでしょうか。

都会出身の人は、田舎といえば白川郷や北海道の富良野のような場所を思い浮かべる方も少なくないと思います。確かに我が地元四国もお遍路さんの八十八ケ所や温泉グルメ等素敵なところや自慢したいところは満載です。ただ、普段の生活圏は、やっぱりマックや洋服の青山が国道沿いに並ぶその光景なのです。東京で仕事を始めてから、関東の郊外や地方に出張に行くことも多くありますが、地元と似た光景に思いのほか出会うことに驚いてしまいます。私はこれを個人的に「日本の量産型ふるさと」と呼んでいます。

あと、鶏が先か卵が先か、問題があると思います。こういう話をすると「お前ら若者が出て行ったからだろうが!地方見捨てて出て行った癖に知った顔で偉そうなこと言うな!」という人が出てきます。おっしゃることも分かります。

ツイートに対して「東京は移住者の町になり、東京からも失われた自然等があることにも思いを馳せてほしい」というリプもいただきました。東京出身のひとはひとで、思うことはあるのですよね。私も今東京に住んでいる身として、色々考えたいと思います。

ただ、私が今気軽な若い一人暮らしの身なので、こんなに東京を楽しいと思えるのかもしれません。私の母は足が不自由です。母が東京に来たとき、私は母をかばうようにいつも移動しました。そのとき初めて、東京がスピードの速い町なのだと気付きました。電車移動やエレベーターの少なさ、道の狭さは、体が悪い人、高齢の方、ベビーカーなどなどには厳しい環境だと思います。それと比べると、ドアtoドアで移動でき、ショッピングモールという空調のきいた中で買い物から外食まで全てを済ませてしまえるのは、大変便利です。大きなベビーカーを押していても、どこにもぶつからないですから。

こんなことをつらつらと書いてありますが、私は別に地元が嫌いな訳ではなく、むしろ愛着も持っています。だからこそ、もっと良くなるのではと思っています。

地元徳島は、最近IT企業のサテライトオフィスができたりして、注目されています。古民家でのびのびMacをいじっている光景は中々にユニークだと思います。私の祖母も今自営で森の中でお店を営んでおり、地域の憩いの場になっているようです。

都会に似せなくてもいい、スタバがなくてもいい、例えばショッピングモールを作るなら、1Fをすべて地産地消の市場か何かにしてはどうでしょうか。

とこんなことを言っていても、多分もう地元に帰って住むつもりはないという自分自身の意識が、いちばんの皮肉です。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?