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ジブリで一番好きな作品「風立ちぬ」

来週、8月27日の金曜ロードショーは風立ちぬです。

もっと研究せねばならないし、結局岡田斗司夫さんの解説の受け売りですが、個人的に「風立ちぬ」には凄まじく惹かれるものがあります。なんでこんなに惹かれるんだろう…と来週のTV予告を見ながらまた今日も考えてました。

風立ちぬは、美しい夫婦愛、とよく宣伝されます。勿論そういう側面もあると思いますが、
簡単に言うと、超自己中心的でナルシスティックな男と、超計算高い女が「共に生きる一瞬」をどれだけ美しいものへと高めていくかという、恐ろしくも美しい話だと解釈しています。菜穂子は健気というより、一見そう見せることが上手で、本質的にはたいへん欲望に忠実な女性と感じます。

公開当初、二郎はひどい男だとよく言われたように思いますが、
何度も見るにつれ、かつ岡田斗司夫さんの解説に合点が行き、菜穂子の女としての怖さ(潔さ、欲、強さ)を感じるようになりました。二郎が菜穂子を振り回しているのではない、寧ろ菜穂子は二郎より一段も二段も上で、二郎さんを手の平の上で転がしていたのだと思います。

二郎と再開して開口一番に、お絹が結婚して子どもを産んだ、という話をニコニコ無邪気に語る菜穂子。お絹はノーチャンだぞ、これからは私だけを見るんだ、と二郎にメッセージを伝える。

風があなたを連れて来てくれた。二郎がパイロットになれないこと、関東大震災、菜穂子の病気、再開する時に吹く強い風。ぜんぶ風が吹く、その風があなたを連れて来てくれた。風=逆境。菜穂子にとって二郎は生きることそのもの、生命そのものではないかと思います。

同時に、二郎にとっても菜穂子は、夢を見させてくれる存在。互いに欲していた存在だった(もしくは菜穂子がそのように展開を導いている)。二郎にとって菜穂子は、美しい、墜落しない飛行機に見える(一瞬の強い風で青空を飛んでいる姿は美しく、永遠のように見えるが、その後のことはわからない。菜穂子は死を見せず、「美しい」ところだけを見せて山へと消えてしまう。戦争でも、二郎の作った飛行機は一機も帰っては来なかった)

菜穂子も二郎も「一瞬の美しさ」を追い求めていた点で、欲望がきれいに一致しているのだと解釈します。

以下、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se lève,il faut tenter de vivre”(風が起こった、生きようと試みなければならない)を、堀辰雄が訳したものの一部です。

そのとき不意に、何処からともなく風が立つた。私達の頭の上では、木の葉の間からちらつと覗いてゐる藍色が伸びたり縮んだりした。それと殆ど
同時に、草むらの中に何かがばつたりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きつぱなしにしてあつた絵が、画架と共に、倒れた音らしかつた。すぐ立ち上がつて行かうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失ふまいとするかのやうに無理に引き留めて、私のそばから離
さないでゐた。お前は私のするがままにさせてゐた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。

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