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病いの語りを見直して

先に載せた①-③と、もう一つ、「愉快な入院生活」と銘打って、入院中に出会った面白い人たちの記録もつけていた。たしかにユニークな患者にたくさん出会い、貴重な経験をしたが、入院生活自体が愉快なはずはない。

これらの記録をつけたときのことを思い出すと私はなんとか「自分に偶然降り掛かった病気」に「意味づけ」をおこなおうとしていたのだと思う。

―がんは、「どうして私が?」ということを精神的(モーラル)に理解する必要があることを象徴的に表しているのであろう。科学的な説明では、そのような理解は得られない― アーサー・クラインマン『病いの語り』

私は突如降り掛かった死をも思わせる病気について「特別な病気に選ばれ、記録をつける可哀想な私」とドラマの主人公風に仕立て上げることで受け入れ、対処していた。今から思えば、当時の私の記録の語り口調からは、妙に明るく滑稽味を持たせられるように言葉を選び書いている様子がうかがえる。医者に質問をしている自分を「患者」ではなく「日大医学部の学生のようだ」と例えていることから、「世話をされるような身ではない、勉強好きな普段通りの自分」を保ちたかったのだと考える。

また、③に記してある被害妄想について、のちに上記にも引用したアーサー・クラインマン『病いの語り』の中における以下の文章を読み、当時の自分と重ね合わせた。
―他の誰にも自分の痛みは見えないし、したがって、能力低下が現実のものだと客観的にはっきりと認めてもらうこともできないがために、強い怒りの感情をもつこともあるかもしれない―
当時は腹部の違和感と、精神的な苦痛が主な症状であったが、一見誰も分からない。こんなに辛いことはきっと誰も分かってくれないのだと、半ば怒りに近い感情を毎日のように抱いていた。

自律神経失調は、2022年の今でも続いている。「3年前に手術をしたときから、体力が弱っていて」と私は事あるごとに口にするようになった。決して嘘ではない。嘘ではないが、病気ひいては病気の経験は確実に私のアイデンティティの一部となった。病気以前の私と以後の私には大きな断絶がある。

自分が病気になるまで私は、病気を持つ人は、自分の病について語ることを避けるのではないかと思っていた。勿論人によるだろう。でも今私は、病の経験をいろんな人に聞いてほしいと思っている。これもきっと、病の経験に意味づけをしたいという欲望の一種なのではないかと考える。

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