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病棟化するコロナ社会

最近のコロナに関する社会的な空気感と、東さんのゲンロンカフェ配信やtweetを見て色々考えたことが溜まってきたので、noteにまとめてみることにしました。

2019年の夏に、私は大きな病気になってしまって、入院して手術しました。二つの病院を渡り歩きましたが、今こうして元気にやっており、病院の先生や看護師さんには感謝しかありません。

病棟でいつも最優先なのは「治療」です。病院は医療機関です。身体を「治す」ことが最優先なので、リスクファクターとなるものは全て排除されますし、「不要不急」のことは我慢し、体温や検査結果によりやれることとやれないことが決まり、夜の9時には消灯で病棟の明かりが消えます。

そこは「病院」という特殊な空間で、もちろん病気を治したいので精一杯規律に従って治療に専念しますし、私は入院の期間としては比較的短かったので「大体このぐらいで退院できる」という目途が立ったことで、頑張ることができました。

しかし同じ病棟の長期入院患者さんが「こんな毎日、病気云々の前に、心の病気になって参ってしまいそう」ともらすのを聞きました。それ以来、病院にも、もっとレクリエーションや音楽会、アニマルセラピーのようなものがどんどん取り入れられて、患者さんが身体云々の前に心を病んでしまうという「二次災害」が少なくなればいいな、なんて考えることもありました(コロナでなおさら、難しくなったかと思いますが)

で、最近思うのは、この病棟的な、医療機関的な規律が、普通の日常の中にも取り入れられて来ているということです。不要不急の外出はやめる。お酒を飲んで集まらない。イベントの中止。施設の利用中止。とにかく集まるな。遊ぶな。感染するぞ。せめて20時までだ。ストレスが溜まるけれど、仕方がない。第一優先は「コロナを収束させること」「感染しない(させない)こと」だから。病棟でいう「治療」。そのためにはいろんなことが出来なくても「仕方がない」

医療や公衆衛生学の観点から言えば、そりゃあその通りです。集まらない方が良い。接触しないに越したことはない。なんならお酒もタバコもやめた方が良い。身体に悪いし。コロナ以前から冬にはインフルエンザやノロウイルスが毎年のように流行しています。それが怖いなら、忘年会や新年会なんて初めからやらなければ良いんです。性病もあります。それが怖ければ、おいそれと性行為をしなければ良いのです。

でも人はそういう「リスク」にまみれた中で、「医学」「公衆衛生学」は勿論大事だけれども、生きていくためにはやはり集まらない訳にいかないし、触れ合わない訳にいかないし、いろんな体験を通して心を楽しませてやらなきゃいけない。それを言えば海外旅行なんてリスクだらけです。でもそれを何となく分かった上で、なんとか医療的観点と普段の自由な生活とのバランスを保ちながら生きてきたんじゃないでしょうか?

今みんなコロナが怖いと思います。毎日感染者数が発表されて、急に東京900人とか言われて、何が本当で嘘かよく分からないまま、恐怖に支配される毎日です。そんな毎日の中で「医学」「公衆衛生学」が守るべき第一のものになり、今まで暗黙の了解のように保っていたはずのバランスが崩れてしまった。日本は特に理系信奉、ある種の文系軽視が強いような気がするので、理系専門家の人が警鐘を訴えたり、難しいデータや数が示されたりすると、誰もそれに逆らえなくなってしまう。

飲み会をやらない方が良いのは頭ではもちろん分かる。医療的観点から考えたらそりゃあそうだ。医療従事者の方も大変だし。でもこれって日本国憲法の「自由権」に抵触しないのかな?
集会の自由は? 緊急事態だから「公共の福祉に反しない」限り大丈夫ってこと? お酒の販売業者に取引停止要請はやばくないか?
そこまで入り込んでいいの? ワクチンを打ちたくない人は打たず、打ちたい人は打てばいいのではないか?
人通りの少ない大通りでずっとマスクしなくちゃいけないのか? それで熱中症になっちゃったらどうするの?
家族がいいと言うなら、誰かが実家に帰省するぐらいのことを、他人がとやかく言えることではないんじゃないか? 「責任」ってなんだ?
人を集めたから、イベントを開催したから、感染者が出た。「責任者は誰だ」って、どうしてすぐそんな問い方になるのかな?
人間は自然とともに、いろんな正体不明の病気や危険と隣り合わせで、それでも心楽しく工夫して生きていたんじゃないのか? 誰のせいでもないよ。

私が2019年、大きな病気を告知されて感じたことは「死はいつも生とともにある」ということでした。手術前には、ミスドに立ち寄った時なんかに「自分はあと何回このポンデリングを食べられるんだろう」とふと考えてしまったこともありました。生きることの中にはいつも死やリスクが内包されており、残念ながら完全にのがれることはできません。

有難いことに私は今元気に暮らしていて、いくらでもポンデリングも食べられるのですが、なるべくみんなが心楽しく生きていけたらいいなと思います。夜の9時に消灯して眠るのは、もう嫌です。

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