「息をつく」ことの大切さ
前回の投稿で、『ワーニャ伯父さん』のソーニャの台詞に息をつくことが出来たことを書かせて頂きましたが、今回は「息をつく」ことの大切さについて考えてみたいと思います。
ソーニャの台詞との出会いは、私にとっては「心の呼吸を取り戻す」ことでもありました。
フと心に隙間が出来、心の中の風通しが良くなり、「心が息を吹き返した」感覚がありました。
固まりかけていた自分が少しほぐれて弛んでいくような……自分に戻れたような……そんな感覚でした。
………つまりは、当時の私自身は余裕もなく、心をガチガチに緊張させて息も絶え絶えに生きていた…ということです。それが良い悪いではなく「こうするしかない」と決めつけて必死に生きていたということです。
頑張ってくれている自分自身の心や身体も顧みず、何かに取り憑かれたように生きていた…ということです。
状況や感情に囚われていたのでしょうね。
無意識のうちに、全てのこと(自分のことも含めて)をジャッジすることで、現実と向き合うことから逃げようとしていたのかもしれません。
「今」と向き合う(あまり楽しいことではないことも多いのですが) ことから逃げるのは、「希望」を見失うことでもあるような気がします。
私の大好きな詩人エミリー・ディキンソンは、
“ 希望は羽のはえた小鳥
とまる所は魂のなか
言葉のない調べをうたい
決して止めることはない “
と詠んでいますが、まさしくその小鳥の囀りから、自ら耳を両手で塞いでいたのだと思います。
「息をつく」ということは、希望の小鳥の囀りに気づくことが可能になるのです。
そして、良いも悪いも丸ごとの自分を受け入れて、心の呼吸を取り戻す事は、自分への労わりをもてるようになります。ひいては、自分以外の人への思いやりももてるようになります。
息をしないと、生物的にも大切な生命を失うことにもなります。
息をつくことが出来て、やっと自分という人間に戻ることが出来ます。
息もつかずに邁進している自分に気がついた時や、追いつめられている自分に気がついた時は、一度立ち止まって、一息でいいのです、まずは息をつきましょう。
きっと、自分に戻れます。
これこそ、本当に大切なことだと、今、つくづく感じている私です。