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ひとりごと

義兄が死んで、コトあるごとに、今までのこと(忘れかけていたことまで)がフィードバックして来て、かなり消耗し、今のことでではなく、忘れかけていたけれど、忘れられないことを確認して泣いてばかりいたのだけれど、やっと落ち着いて来て思ったこと。
「実はきっと全てが赦されている」と、以前に思ったことは本当なのだけれど、自分が身をもって「全ては赦されている」と実感するのがこんなに大変なことだとはわかっていなかった…ということ。
頭の中ではわかっていても、「心も身体もわかる」というのは本当に大変なことなのだなぁ。
頭でわかっているからこそ、全てがそうならないことで自分を責めてしまっていることも、きっと、ややこしくしているのだろう。
よく考えてみると、自分を責めている自分もすでに赦されているのだろうけれど……。
こうなったら、丸ごと神様に放り投げて、「辛いんです!」って叫ぶしかないな。
……そうか、親鸞聖人の「悪人正機」って、こういうことなのかもしれない……。

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