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33歳。週休3日を選び、葛藤して泣いた話。

働き方だけに限らず「自分の意志で選ぶ」ということは、時に悩みながら「手放すこと」も選択しなければならないのか、と実感しています。

これは「週休3日」を自分の意志で選択した私のキャリアの話です。週休3日を選んだからこそ、別のものを手放すことを選び、選択できる喜びと、自分で決断しなければいけないことに、泣いた話。

よければ少しだけお付き合いください。

ー2019年夏、選択。

「契約社員でも大丈夫です」

今は年齢的にもライフステージ的にも、仕事に全力を注ぎたい時期ではないと思い「フルタイム正社員」から「契約社員の週休3日」に変更させてもらったのは、2019年の夏だった。

仕事へのコミットを減らすんだね

周りの社員からはそう思われていたと思うし、私もそうしたいと思ってた。

なぜなら、天職とすら思えた前職を辞めた理由は「心身の健康が何よりも第一」と分かったからだったし、30代になり「子供や家族」も欲しかったし、副業や社外活動ももっと取り組みたかったし、海外旅行や海遊びなど「余暇」も楽しみたくて、、、

様々な経験を重ね、自分の大事にしたいことがハッキリとしてきた感覚があったからだったと思う。

ー やっぱり仕事の優先順位をもう少し下げて、自分で選択できる時間をもっと増やしたいな ー

2019年の夏。
週休3日を選択したのは、30歳で大手企業からベンチャー企業へ「覚悟と勇気」を強く握り締めながら転職してから、たったの1年後だった。

ーーー

だけど人生は予定通りにいかないもので。

ちょうど会社で「広報PRポジションを立ち上げよう」というタイミングになり「やりたい」と手を上げた。

人生はタイミング。

昔から伝えることやコミュニケーションの仕事に興味があったので、これは未経験で挑戦できるチャンスだと思い、これを逃すことは出来なかった。

でもやっぱり同じタイミングで、自分の働き方や仕事への今のスタンスを上司に説明し「週休3日で働きたい」と会社へ相談した。やりたいことと叶えたい働き方の両方を伝え、上司は「わかった。」とすぐに社内に持ち帰ってくれた。

その後、今すぐ正社員制度を変更することは難しいけれど(そりゃそうだ)「契約社員」なら可能だと教えてもらい、一瞬悩んだあとに即決。正社員から契約社員へ変更してもらうことにした。

2019年の夏。
広報という初めての仕事と
週休3日を同時にスタートした

ー2019~2020年、がむしゃらに。

週休3日で、初めての仕事。
不安もワクワクも同じくらい大きかった。

自分で手を挙げたからには成果を出さないわけにいかない。未経験だからを言い訳にはできない。新しいポジションを立ち上げて、社内でも「意味があったね」と感じてもらえるまでがんばるしかない。しかも自分で時間を減らしたので「限られた時間でも成果を出す」しかない、、、

とにかく、がんばるしかなかった。

幸いにも、勉強しつつがむしゃらに取り組んできたら少しずつ成果が出てきて、仕事はやっぱり面白いなと没頭することになるのだけど

結局「週休3日」は月の半分くらいしか実現できていないのが実態になった。

仕事はすごく面白いのに、仕事だけにはしたくない、、

そんなジレンマの中で、会社の外のコミュニティとも繋がりながら、なんとかバランスを調整した。

ーーー

一方で「上場を目指す」「経営統合」「資金調達」という、これまでとスケールが違う大きな話が次々に進み、入社時には想像していなかったスピードで会社はどんどん成長し、やるべきことは倍増していく。

会社の成長に置いていかれないように必死にがんばる。

気付けば週休3日どころか、すごい残業時間になってしまったりもした。

仕事に熱中するほど、求められるレベルの高さを痛感する日々。努力しても努力しても追い付かないことに悔しくてたまらなくなる。

寝るか仕事しかしてない。
食べるのも忘れる。
しんどいなー。

「でも、大丈夫。終わりはある。」

そんな風に自分に言い聞かせながら、目の前の山を越えてまた次の山を登る。

キャパもスキルも少しずつ身に付いているはずなのに、それでもまた「今が一番しんどい」と思う山を登る。それの繰り返し。

仕事の量も求められる質も、どんどん上がる中で

「会社の成長フェーズ」と
「今の自分の人生フェーズ」が合ってない

そう感じるようになった。

ーーー

思うように仕事もモチベーションも調整できないまま、でもどうすればいいかわからず、とにかくやるべきことに集中するしかなかった。

たぶん「悔しい」という感情だったんだと思う。
会社は好きだし、上司は心から尊敬出来たし、仕事は面白い。だからこそ仕事にもっとエネルギーを注げないことがもどかしいようなそんな気持ち。。。

変化し続けることはベンチャー企業で働く醍醐味だし、こんなに面白いフェーズを経験出来ていることは本当に貴重で、とてもありがたくラッキーだとわかっていた。

だけど、

やっぱり私は週休3日で働きたい。
大切にしたいことが、他にもある。

という結論になった。


2021年の春。

ー2021年春、選択して泣く。

この春、私はマネージャーになるというキャリアをいったん諦めた。

すぐにマネージャーになれるわけではなかったのだけど、その可能性がある中で、マネージャーを採用してもらうことを選んだ。なのでいったん自分の道は閉ざされた。

ーーー

「マネージャー、どうしようか」

嬉しいことに広報PRを会社としても強化するために、チームを作っていくタイミングになった。

経営層の上司と広報未経験の担当の私。経験者がマネージャーとして加わるとパワーアップすることはわかっていたのだけど、私がマネージャーになりたい意志があるのかどうか、上司は一応希望を聞いてくれたのだ。

社会人11年目の33歳。
マネージャーになりたいか。という意志を聞かれたことは無かったし、そんなチャンスもこれまでなかった。

人生はタイミング。

それは十分すぎるくらいわかっていた。「チャレンジしてみたい。」とぼんやりとどこかで思っていたことにも気付いてしまった。1人で立ち上げた部署でそのままステップアップしてみたかったのだと思う。

ーーー

システムエンジニア4年→客室乗務員4年→インサイドセールス1年→広報、と

キャリアチェンジを繰り返してきて常に「新人」であることは、本当にエネルギーを使うし疲れる。

33歳になって、同級生はプロとして頭角を現していくなかで、いつまでも新人の私は、日々必死、日々勉強。

「プロ」に囲まれてディレクションに調整に奔走し、プロでない自分がどんな価値を発揮できているのかあまり分からないしんどさを感じることも多々ある。がんばるほどに自分の未熟さを痛感する。

そんなふうに「キャリアチェンジ」を繰り返してきた自分が「キャリアアップ」できるタイミングなんて、いつでもあるわけじゃない。

それは強く実感していたのでとても悩んだ。
本当にすごく悩んだ。

だけど、今の会社の成長フェーズや成長スピードでは「今の私の理想とする働き方やコミット」では、きっとマネージャーは務まらないこともよくわかっていたので

泣きながら諦めた。

会社が好きだからこそ、会社にとってのベストは私じゃないとも思った。

ーーー

「マネージャー、採用してください」

数週間後、そう上司にメッセージを打ちながら、静かに涙がこぼれて止まらなかった。

何度か話をして「経験者に仲間になってもらったほうが良さそうだね」とほとんど結論が出ていたのだけど、自分で区切りをつけるために言葉にした。

自宅でリモートワークをしていたので、何も気にせず泣けた。

涙を手でぬぐいながら、キーボードが少し濡れたけど、すぐに別の画面に切り替えて仕事を続けた。

悲しいのか、悔しいのか、ホッとしたような、よくわからない感情だったと思う。

もしかしたら、全てを諦めずにやれる人もいるかもしれない。「諦めたから出来なかっただけ」なのかもしれない。

だけど、ここまで頑張ったからこそ、今の私には出来ないと思った。

ーーー

思えば学生時代もそうだった。

ウィンドサーフィンで学生日本一を目指して週5で海に通い表彰台に上がった。だけどいつも「3位」だった。

自分なりに頑張ったつもりだったけれど、まだまだ頑張れたことも自分が一番わかっていて、でもその時の自分は「そこまでしかたどり着けない自分」だったと思う。

「2人には勝てない」

と自分の可能性よりも限界を悟り、その後、世界を舞台にする2人とは別の道へ進み、私は就職する。

ーーー

今回、マネージャーへの道をいったん諦めたことも、自分の可能性よりも今の自分の限界を悟ったから。自分で決めたことなのにとても悔しかった。

だけど、なんて言えばいいのか、、、上手く言葉に出来ないけれど、

「今の私にはこれが限界」という自分の判断を信頼できるくらい、限界までがんばってきた自分をある意味ようやく認められた気がした。

「もっとがんばれる」と思い続けるのはちょっとしんどい。

30代でまた新人。ここまで2年間はとにかく精一杯を尽くしてきたと思えたからこそ「これ以上は今の私にはまだ出来ない」と決断できたのだと思う。

会社の成長は、
私の成長を待ってはくれない。

ー2021年夏、葛藤のち進む。

もうすぐ新しいマネージャーが仲間になり、本当に週休3日を安定して実現できるだろうと思うと、やっぱり安堵する。

経験者の上司と、チームとしてさらに面白く大きなことを成し遂げていくことを想像するとワクワクする。

一方で、今のような範囲で仕事を任されることは無くなるのかなと思うと、やっぱり複雑さもあるのは正直な気持ち。

社長や役員から直接無茶振りされたり、ディスカッションして、資料を跳ね返されて、一緒に悩んだり、一緒に喜んだり、ポロリとこぼす言葉のニュアンスからTOPが見ている世界を垣間見たりしながら、「今まさに描こうとしているこの先の未来」を、なんとか自分も同じ目線で見ることができないかと背伸びをしながら、必死になって仕事をすることが、今は面白い。

経営層との距離感は、ベンチャー企業で働く最も大きな醍醐味のひとつだと思うので、マネージャーが入ることでそういう感覚が今よりは少なくなるんじゃないかと思うと、寂しくもある。

会社が大きくなるって、組織が大きくなるってそういうことなのかと、本当に、複雑な気持ち。

ーーー

私がまだ27歳だったら
私が既に子育てを進めていたら
私が女性でなければ
私が仕事を生き甲斐に出来たら
私が専門性のあるキャリアを築けていたらー

そんなこと言っても仕方ないのだけど

もしそうであれば「今どれくらい自分を仕事にコミットさせるのか」を考えてこんなにモヤモヤした気持ちにはならなかったのかなと思う。

自ら道を閉ざすということを選択しなくてもよかったかもしれない。諦めないことを選択したかもしれない。

でも、これが私が自分で選んできたキャリア。生き方。働き方。

今この瞬間、未経験でやりたい仕事にチャレンジできていることにはただただ感謝しかない。

ー マネージャーが仲間になるまであと少しがんばりきって、チームとしてさらにこれまで出来なかったことにも挑戦していこう。 ー

今はそういう気持ちに切り替わり、
先日34歳の誕生日を迎えた。

ー「週休3日を選択する」ということ

仕事よりも大切なものがある。
人生で何に時間とエネルギーを注ぎたいかは人それぞれ違うと思う。

だけど一方で「仕事や働くこと」を通して得られることは本当に多いと思う。決して「楽しい」だけじゃないけど、苦しいことも辛いことも含めて、働くことは「面白い」。そう思う。

だから私にとって「週休3日を選択する」ということは、決して「仕事をがんばらない」と決めたことではなくて、仕事も含めて自分の大切なものを大切にするために試行錯誤していきたい、という「意志表明」と「自分との約束」だったんだと思う。

「なぜ週休3日を選んだのか」に改めて向き合い、大切なものを大切にするために、一瞬だけ現れたマネージャーへの道をいったん諦めたのだけど、今は広報の仕事で副業のチャンスももらったり、足が遠のいていた海遊びにもいくようになり、新しい趣味も友達も増えた。パートナーとの時間も大切にしながら、自分なりの働き方をまだまだ模索している。

そしてまたそのチャンスが現れたら、掴めるような自分でありたい。

ーーー

「自分の意志で選ぶ」ということは、時に何かを手放すことも選ぶことなのかなと思う。限られた人生の中で、選択できることによろこびながら、時には「手放す」という自分の選択に泣くこともある。

それでも「自分の意志で選んだ」という感覚は人生の幸福感に繋がっている気がしているし、「自分の選択を後悔しない未来を生きたい」という次の意志も生むような気がしている。

ーーー

週休3日が一般化するかはわからないし、するとしてもまだまだ時間がかかると思う。

だけど週休3日制が「選択肢」になれば、キャリアもライフステージも既に悩みが尽きないのに、さらにもう一つ働く私達の悩みは増える。。ただでさえ、今の世の中は情報は多いし、選択肢は広がり、正解がないのに。。

だけどそんな今を自分の意志で生きようとする人を、自分の意志で「週休3日」という働き方を選ぶ人を、私は応援したい。

そして、過去を後悔しない今を生きれたらいいなと思う。



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