大晦日から『かがみの孤城』に脳味噌ジャックされるの巻
大晦日に息子(高2)と次女(中2)連れて樺沢 紫苑先生激推しだった『鏡の孤城』を観た。
結果、大晦日の脳味噌を完全ジャックされ、今も余韻の中にいる。
語彙力のない娘は「ヤバい。今まで観た映画で一番良かった神・映画」と言い、自分でも小説を書く息子は「伏線回収の順番がうま過ぎて悔しい位良かったetc....」と語り続けていたので子どもにも響く所が多いのだろう。
不登校の子どもたちのストーリーでもあるこの作品は
元不登校児で、元不登校児の母で、学校崩壊も学級崩壊もいじめ第三者調査委員会も経験済みの私には、「琴線触れすぎ危険」作品だった。
クソ教師アルアルも、素晴らしい教師アルアルも子どもの気持ちも、親の気持ちも描写がうま過ぎた。自分が引くぐらい泣いてしまった。
しかも、昔話を専門にする私には「赤ずきん」と「オオカミと7匹の子ヤギ」をストーリー展開の肝に使った本作に心だけでなく頭もフル稼働。
そんなわけで、言いたいこと沢山溢れる作品だったのだけれど、今の私に一番響いたのは
主人公の友人、萌の存在。
父は、大学で児童文学を教えているという。
恐らく物語を心に沢山持っている彼女は
「所詮,学校のこと」と
学校を俯瞰し、いじめっ子達のことも
「ろくな大人にならない」と一蹴する。
主人公は目を見開き、感心して彼女の言葉を聴いていたけれど
私が「物語」にこだわる理由はこれだ。
いくつもの物語を持つと
人は、目の前の狭い世界に絡め取られずに済む。
特に、学校と家庭を行き来し、友人や教師、親だけの狭い世界を全てと思いがちな子ども達は、物語を通して、世界が自分が思うよりずっと広いと知るだけで救われることが多いのを、実感し続けてきた。
萌は
学校を世界の一部でしかないと言い、
いじめっ子達を今ではなく長い時間軸の中で捉えていた。
物語を持つことで
世界を俯瞰する力を発揮でき
それが自分を強くする。
自分が関わって来た子ども達に伝えて来たことと、これからも伝えたいことを再認識したので、大晦日にこの作品に脳味噌ジャックされたことにも意味があるのかもしれないね。
まだまだ、
心と頭を揺さぶられて整理できていない事が多いけれど、今の気持ちを残しておきたくて書いてみた。
この作品に年末年始の頭と心が
浸っていることが
今年にどう出るのやら…ですが
本年もよろしくお願い申し上げます!
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