自分の生きる物語を選ぶということ
息子が小学校で同級生に首を絞められ、殺されかけたことがある。
結構なおおごとになり、いじめ第三者者調査委員会が開かれたり、文科省の声明が出るきっかけになったのだが、詳細はいつか、誰かの役に立つ形で書くとして…。
最終的には、息子にも加害児となった同級生にも
まぁまぁ悪くない形のソフトランディングの結末。
共に小学校を無事卒業した。
私が、加害児をとことん追い詰め、追い出さなかった事を非難する人達もいたけれど、8年程経った今、最善ではなくとも最良の選択と結末だったと思う。
事件が起きた日、
学校に話し合いに向かう坂道で
怒りと興奮で頭に血が上るのを必死に抑えながら
決めたことが二つあった。
一つは「暴力に対して、ペンで戦う」
二つめは「この物語を仇討ちものにしない」
今思えば、この二つの選択が
その後、2年に渡り多くの人を巻き込んだゴタゴタを
それでもソフトランディングさせたのだと感じている。
元々、児童文化・文学専攻の私が持つ武器はペンしかなかった。
事件の背景や経緯、自分の目指す着地点や子ども観、をあらゆる関係機関や関係者に「言葉」にして届けたことで、驚くほど早く物事が進み、多くの味方が現れた。言語化の威力たるや…である。
そして、何よりも
「この物語を仇討ちものにしない」
という選択が全ての方向性を決めたのだと今はわかる。
私の修士論文は「江戸期から現代までの『カチカチ山』絵本の変遷」であった。
仇討ち物語三昧の学生時代を送った私だが
昔話をはじめとするたくさんの物語を持ち、
物語の型について深く学んでいた。
私の好きな昔話の多くは
主人公が、試練にあい、援助者に出会い、試練を乗り越えて幸せになる型を持つ。
私はその物語を選択した。
それは、息子を「被害者」としてではなく「主人公」として生かす選択でもあった。
当時、学内外に他にも被害者が多かったため
息子の事件を機に周囲はヒートアップしていた。
「仇討ちではない物語を選ぶ」と決めなければ
息子は代表的な「被害者」として生き
とことん相手を追い詰めて仇討ちする結末を
背負わなければならなかっただろう。
いまや、並べたレゴブロックの横で
だらだらYouTubeを見る平和なアホ高校生である。
何かあっても、なくっても
いつの間にか誰かの決めた物語を
生きてしまうことは少なくない。
けれど
いつでも誰でも
自分の物語を
選択することができる。
私は
子どもも大人もたくさんの物語を
心の中に持つことで
自分の生きる物語を選択していける
と信じている。
いろんな物語のおおもとである
昔話にずーっと関わって
多くの子どもと大人に物語を届けようとしているのは
そんな理由。
へへへ、話したことあったっけ?
まだなかったかな?
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