愛すべき生まれて育ってくサークル
オザケンLiveへ。
物販の大行列に並んで買ったTシャツにトイレで着替え参戦。Tシャツの裾には「愛すべき生まれて育ってくサークル」と歌詞の一部がプリントされていた。
30人の生演奏の大迫力、90年代と今が交錯するエモ過ぎるセットリスト。
何より、健二さん本人が一番楽しんでいたのが印象的だった。そして、実験的、斬新な演出の数々に観客がいつも若干置いてきぼりを食らい、健二さんの無茶振りに観客が驚き戸惑い喜びながらついて行く。
ん??
デジャブ?
まさに、私の師匠であるオザチチ、ではないか。
勉強会で『日本昔話通観』を誰かが読み上げると「こいつ、バッカな奴だなぁ、あはははは」と物語の主人公に笑いながら突っ込みを入れ、誰よりも楽しそうである。
あの…この本、あなた様が編纂した本なんですけど…作る過程で何回も読み、その後も何十回と読んでますよね?なぜ、初めて読んだ小学生男子みたいなん?
よき伝承を守る強い姿勢の一方で
進取の気性に富みまくり
「今までと全く同じじゃ面白くないじゃない」と言って新しいアイデアを試し続ける。
無茶振りされた周囲の人たちは皆、いつも驚き戸惑い大迷惑だと言いながら喜んでついて行く。
ちなみに私の卒業式の答辞も「例年通りじゃつまらないじゃない」と言って、伝統的な式辞読み上げから当日アドリブ挨拶にさせた。
「昔ばなし大学」では全国から集った受講生に「家族の食事や仕事や色々をやりくりして時間を作り、勉強しに来てる、本当に大変なことだ」と労いの言葉をかける。いつも相手の背景のそのまた向こうを見ている。学生の頃は、全くピンと来ないまま聞いていたけれど、今はこの言葉の重みが沁みる。
健二さんがLiveを終えて、最後に「生活に帰ろう」と叫んだ。
昔話の結末句「めでたしめでたし」「これでえんつこもんつこさげた」と同じ、お話の世界から現実の世界へと戻る合図だ。
優れたファンタジーの使い手は、物語の世界で十分に遊ばせた後、聴き手をきちんと元の生活に戻す。
オザケンのLiveにも小澤先生の講義にも
いつも
ひとつ向こうへの想像力がある。
ここにも愛すべき生まれて育ってくサークル。
われわれ皆も連なる
愛すべきサークル。
たとえ、無茶振りされたとしても。