アンチ?ファンの対義語は“無関心”だよ。
【創作連載コラム アトリエ裏マガジン10月号】
やぁみんなゴキゲンかい?ゴキゲンな貴方もフキゲンな貴方も、ようこそお越しくださいました。どうも水上いろはですこんにちは。
さてさて、何からお話ししましょうか。いろいろ話したいことがあるので、まず手始めに“最近目尻のシワが気になり始めてきた話”についてでも語ろうと思ったわけですが、アレですね。違いますね。そんなん聞きに来たわけじゃないですね。はい。ほいじゃまとりあえず最近何かと騒がしげなアトリエ部についてでも語りましょうか。
もうすぐ発足して一周年を迎えるアトリエ部。はじめは小さく、数十人の参加者に過ぎなかったアトリエ部も、今やそれなりに話題を振りまく程度には、創作界隈で注目を集める存在となり、主宰としてはとても嬉しく思っている次第であります。ありざす。
その反面、規模が大きくなってくると、大きくなってくるなりに色々と“ひずみ”も起きてくるもの。顔も合わしたことのない個と個が交錯するネットの世界では尚のことそんなんが起きてきます。
人それぞれ色々な思いを抱えて日々生きています。それを表に出せる人もいれば、心の中に押さえ込んで吐き出せない人もいるでしょう。てなわけで、少し吐き出すキッカケを投じました。
まぁアレです。ほんの戯れです。僕のツイッターアカウントを遡ってもらえれば見れると思うんので、暇で暇で仕方なくて何しようかなって悩んだ挙句にひねり出した暇つぶしを終えてもまだ暇って時にでも見てください。なんせ僕に対しての批判や罵倒はどうだっていいことですからね。
本題はここから。ツイッター上でアトリエ部はどういう存在なのか。ここに言及していきましょうか。
そもそも僕が何でアトリエ部なるものを始めたのか。答えは単純。いろんな人の素敵な才能が多くの人の目に届く場を作りたかった。コレです。
僕は文字書き屋さんとして日々過ごしているわけでして、詩も書いてます。その延長で色々な人の詩や文章、写真や絵など“創作物”を見て学ばせて頂いてます。その中で常々疑問に思ってきたことがありましてね。
『この人の作品、スッッッゲエぇぇ良いのに何でこんなフォロワー少ないんだろう?』
もっと言えば、『何で日の目を浴びてないんだろう?』『このまま“その他大勢”として、この才能は埋もれちゃうのかな?』『どうしてもっと多くの人の元へ届かないんだろう?』といったトコです。“フォロワー数2桁・RT0・いいね1”とか見ると、『あぁ、こんな素敵な作品なのに、、、。全世界70億人もいるのにこの人の素敵な才能はたった数十人にしか届いてないのか、、、。』的なムズ痒さを感じてましてね。
きっと多くの創作者たちは、少なからず『私の作品、誰かに見て貰いたい!褒めて貰いたい!』という気持ちがあると思うのです。でもね、ツイッターやSNSに作品をアップしている人のうち、果たして何人いるのでしょうか。リアルの実生活で『見て見て!じつは詩書いてるんだ!』と友達や家族や同僚などに打ち明けられている人。多分ね、すっげぇ少ないと思うんよ。どう?あ、わたし、そうだ。って人いないかい??
ほならね、初心者でも玄人でもプロでも誰でも自由に作品を見せ合って楽しさを分かち合う部活みたいなの作ってみよかとね。始めたのがアトリエ部でございます。名称として“部”としたほうが覚えてもらいやすいかな?わかりやすいかな?っと思って名付けたってトコでして。実態としての趣旨は部室と言いますか、集会場と言いますか、公園と言いますか、そんな出入り自由な“場”がネット上にあったら楽しいんじゃないかってなトコです。
かつての文豪も、現代で著名な作家も、その多くは“孤独”です。自分の内面にひたすら向き合い、ひねり出した言葉を紡ぎ出す。その心情、葛藤、苦悩の上に立つ“極限の自己表現”が“創作”でした。溺れるような息苦しいまでの孤独の先、人々はその物語に感動を覚えるわけですが、その反面、孤独の海に溺れ沈み挫折した創作者は、海岸の貝殻よりいるでしょう。ツイッターで見るだけでも垢消しして沈んでいった人、いっぱい見てません?
そんな挫折者たちが何を思って沈んでいったか。理由は様々だとは思うけど、その一つに『誰からも反応がない』というやるせなさや虚しさがあると思うんです。『私の作品、誰かに見て貰いたい!』が、まるで叶わないという事。アンチも批判も罵倒すら、まるで聞こえて来ない“無関心”の静寂。コレ、最大の敵だと思うんです。この難敵に、“個”で、“孤”で、“小”で、太刀打ちできるだろうか。いや、極めて難しいよね。
詩人が、創作者が、群れるというのは、いわば“異常事態”。そんなアトリエ部が受け入れられない人もいるだろう。でもさ、いいじゃないか。みんなでワイワイ褒めあって、いいねし合って、『コイツの作品めっちゃいいからみんなも見てよ!』ってリツイートしたりさ。“集”で、“群”で、“大”で、抗ってみるのも。沈むよりはるかに楽しいと思うんだ。僕はね。
誰かの目に届くこと、誰かに見て貰えたと実感できること。コレ、創作者にとって最大のモチベーションだと思うんです。それがさらに才能を研ぎ澄ますキッカケとなり、さらに飛躍を目指したいという欲すら出てくる。そういうの、好きだしカッコイイと思うのよ。斜に構えてるやつより遥かに応援したくなるし。そんな姿から溢れ出すナニカは人の心を動かし、やがてファンができる。そう。ファンの対義語はアンチ?いや違うよ。ファンの対義語は“無関心”さ。孤独とはオサラバ。無関心とサヨナラ。楽しくなるよ、創作。
部活といえばふたつの青春の送り方があると思う。その表現にのっとるなら、アトリエ部がワイワイ試合を楽しむ部活。ほへとキカクは試合に勝つこと、野球で言えば甲子園、サッカーで言えば国立、バレーで言えば代々木といった“夢の舞台”を目指す部活。そんなとこ。自分に合った青春の送り方を楽しんでもらえればと思って、僕は今日も旗を振っているわけです。
御仁方々各々色々な考え方があるでしょう。その全てを肯定する必要なんてない。だけど僕は否定もしないよ。だってつまらないじゃん。だから、批判も罵倒もアンチも“関心”という調味料として美味しく頂いております。なんせ無関心は味すらしないからね。
さて、これからワクワクすることがたくさん進んでいく。仲間やファン、応援してくれている人たちと、そして関心を示してくれている全ての人たちと共に、走り抜いて行こうじゃないか。
さあ今日も、言葉遊びを始めよう。
【執筆・ほへとキカク代表/アトリエ部主宰】
水上いろは
◆ほへとキカク公式ホームページ
◆ほへとキカク公式オンラインショップ
https://hohetokikaku.theshop.jp
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