紀行:甲斐路をゆく
雪見がしたい。東海人はしばしばそう思うことがある。それゆえすべきことが終わったらば速やかに、国境を越えて越後へ行こうと計画していた。しかしながらその計画は、吹きすさび積もりに積もる大雪で列車の運行が止まってしまったとのことから、雪の下に埋もれることになった。だがこの空白日を家に籠っているのはなんとも憤慨することで、全くこの塞ぎ込んだ心持を吹きとばしたくてしかたないから、また甲斐路を行くことになった。
甲斐路といえども、この度は甲府を過ぎて、小淵沢から信州小諸、上田に連なる小海線を行く。するとどうであるか、甲斐のあたりは全きに晴天であって、全ての山を見晴るかせる始末、こんなことはめったにない雲一つなき快晴、富士も赤石も八ヶ岳も、全て見えるのである。「トンネルを抜けると快晴であった」というところである。
小淵沢につくと、古いディーゼルが2両いた。これは古いので座席の間隔がせまく、どうも、と言わないと座れない20世紀仕様である。ディーゼルが煙をはきだしたら出発、身体は高原を力強く登っていった。
すこしすると窓より八ツが大きく見えてきて美しい。そして植生というものも地図から少ししか判らないが、実際に見てみると高原的な樹木が生えていて、いかにも高所の風景を成している。またロッジなどがそこかしこに建っていて、それがこの地域の需要を示していた。途中ディーゼルが汽車のように汽笛を鳴らすのは、遮断機のない踏切があるから、そういう場所である。そのままさらに高度を上げていく。
雲に近づくと清里、清里―野辺山のあたりが一番高いが、これは標高千米もあって、本宮山より高いことになる。して降りる。清里には昔より清里寮というロッジのようなものがあって、若者が昭和的に集まって過ごす場所である。しかし最近は車で来るものだから、このように歩道を延々歩いているのは私くらいのものであって、これは北海道で空港まで数時間歩いたことを思い出させる。そこまで私は貧相な揮毫をしているつもりはない。
もってきた弁当をそのまま登りながら食べていた。誰もすれ違わないから問題はなかった。今日も今日とて冷凍半煮え飯にわかさぎの佃煮と羊羹、これが私の基本的な昼食であった。しばらく登って行くと、左に牧場がみえてきて、ジャージー牛がいる。そしてその奥には大展望の甲府盆地を見はるかし、そして構えるは富士、また右手には丘の向こうに広がる南アルプス、こういう景色があるから、もう全くスイスに行く必要がない。むしろ富士があるおかげできわめて日本的でよい。
また坂を上っていく。すると積雪があって、車道は除雪されているが歩道は除雪されていない。こういうこともあろうかと私は登山靴を持ってきていて、スノーシューが欲しいけれど、登山靴でも歩けないことはないと思っていた。無理やり雪道をもこもこ進む。ひたすらもこもこすること十数分、橋に着く。この赤い橋は名所であって、裏にそびえたつ八ヶ岳は権現岳と赤岳、雪をかぶっていかにもな高山的威容を見せつけていた。これを拝みたくて来たのである。しばし写真などを撮る。
八ヶ岳というのは古来は富士のような形の山であったという。火山である。そして八ツの目の前にあるのは、同じく火山なる富士であった。それでこの八ツの権現と、富士の浅間が、喧嘩をした。木曽の御嶽が審判となって、両者の頭に樋をかけて、水を流したそうである。すると、当時は八ツの方が高かったので、水は富士に流れた。して富士は敗れた。そういうことがあって、富士の浅間は怒髪衝天して、八ツを攻撃し、その結果八ツは今の8つに割れた形になったと聞く。して富士は勝ち、日本の風景の象徴となるのであった。
このことに関して研究があり、確かに古来は八ヶ岳は一つの火山であって、標高も三千米を越えていたという。しかしながら富士というのも火山であって、幾度となく噴火を繰り返し高さを増してきたのである。ということはいつかの時代には、当然に八ヶ岳の方が高く、富士の方が低かったそうである。その差は千米もあったという。しかし八ツは結局噴火活動で八つに割れたのである。
そういう風にこの場所では八ツと富士を同時に見ることができ、そして仮に八ツが割れていなかったとしたら、二つの富士が君臨したことだろうと思うと想像が面白い。
道を戻って、美し森という展望地へ向かった。もちろん歩道は雪に埋もれていた。本格的に埋もれているからヤケになって進む。ここはかなり眺めのよい展望台であった。まず駐車場からずっと木道を登っていったところにあり、そこからの景色というものは全く素晴らしい。八ヶ岳の裾野の原野的広がりから、甲府盆地を見晴るかし、富士、そして右手には南アルプスの全てを望む。裏には赤と権現が切り立っている。本当に全く素晴らしい光景であったから、かなりの時間留まっていた。このような原野的光景は簡単には見ることが叶わないのであるし、地形を感じることができてすこぶるよい。
そも美し森というところは、古代八百万の神がここに降りたって、さまざまな議論をめぐらせた場所であるということである。そう思えば、また確かに、この場所の落ち着いた感覚と、澄み切った展望が、全くそのようなところであった。
そういうことがあった。