見出し画像

コンロンカ(崑崙花)と聞くと、太公望を思い出す私。

10年ほど前に買ったコンロンカが、今年は酷暑の中、見事に生え茂ってくれました。9月になり、今咲いている花で今年は最後かなと思っています。羽のような白い苞(ほう)が目を引いて、まるで白い花のように見えますが、中央の黄色い星型の部分が本当の花です。
年によって元気な時とそうでない時があります。数年前の冬には地上部が枯れて、「もうダメなのかな…」と思っていたら春に再び芽吹きました。今年は毎日暑すぎて心配だったのですが、いつも以上に元気そうに咲き誇っていました。

このコンロンカ、つい購入してしまった理由は、名前の『崑崙』に反応したからなのです。白い苞を中国の伝説の山・崑崙山に積もる雪に見立てた命名だそうで。それで私はうっかりしてしまい、コンロンカ=中国の山岳地帯原産だと最近まで思い込んでいました。
実際はもっと南の熱帯地域に適応した植物で、日本では沖縄と屋久島・種子島に分布するようです。それ以外の地域では冬越しが難しいと知って、ビックリしてしまった覚えがあります。

じつは私は、上記地域以外の土地でコンロンカを地植えで育てていたのでした。そりゃあ氷が張るような冬の朝が何日も続けば、地上部が枯れてしまうはずだわ……と反省するばかり。北風が当たらず、日当たりは良い場所だったので運良く根付いたのでしょう。熱帯植物だとわかってから、「そういえば、よそのお宅の庭で見かけたことがないわ」とも気づきました。そんなにマイナーな植物ではないと思うので、皆さん鉢植えで室内に入れてあるのかもしれませんね。



さて、『崑崙』というワードに反応してしまった理由についてお話ししましょう。花屋さんでこの文字を見て、私が連想したのは太公望でした。三千年以上前の中国で、周の文王を支えて易姓革命(殷周革命)を成し遂げた軍師・太公望(呂尚)です。
太公望という名前そのものは幼い頃に家族から習った覚えがありますが、はっきりと認識したのは漫画の『封神演義』(著:藤崎竜 集英社)でした。この『封神演義』がおそらく、自分のお小遣いで初めて買った漫画です。この漫画に仙人・道士が住まう山として崑崙山が出てくるのです(卵型の山が空に浮いていて、側面にどーんと【崑崙山】と書いてあるという…。今思えば奇天烈なデザインですね)。

中国の歴史物だと知って、「買ってもいいよね?」と親に聞きました。子どもが漫画を読むことをあまり快く思わない家でしたが、歴史物だったら大丈夫と考えたのでしょうか。「お小遣いで買うならいいよ~」と了解をもらいました。
親は気づいていなかったでしょう。過激な作品を子どもから遠ざけるつもりが、よけいにマニアックな漫画に許可を出してしまったとは……。読み始めて早々に、多くの読者のトラウマであろうハンバーグ事件にぶつかり、「これは親にバレたら怒られる……」と思いつつ全巻集めました。私の青春は『封神演義』と共にあったと言っても過言ではありません。当時私の周りにいた女友達には少年漫画を読む子がいなかったので、誰とも話題を共有しない、秘密の楽しみとしての特別感も加わっていたように思います。

『封神演義』でフジリュー先生が描き出した太公望が好きでした。のらりくらりとしているようで芯はしっかりしていて。枯れているようで意志は強くて。たくさんの仲間に慕われ、頼りにされているのに、泣くときはたった1人で。
作風も独特で、ギャグやオマージュが散りばめられていて笑えるのに、その本筋はブレることなく目的に向かって進んでいきます。各キャラクターの深い想いにハッとさせられ、そんな彼らが容赦なく退場していくことにやるせなさを感じることも多かったです。
漫画版の殷周革命後のストーリーは原典(明代に成立した伝奇小説)を離れて、【歴史の道標】によって何度も壊され繰り返される世界の秘密へと移っていきます。新王朝の樹立で終わらず、恐るべき創世神話としての姿を見せたことで、この漫画版はただのコミカライズではない唯一無二の価値を築いたと思います。物悲しさと爽やかさ、そして未来への希望を感じさせるラストは見事なものでした。


成人してから、同時代を舞台にした小説『周公旦』(著:酒見賢一 文藝春秋)を読みました。こちらの主人公である周公旦とは、太公望を見いだした文王の四男です。お堅い文官のイメージが強くて、漫画版『封神演義』でも生真面目な苦労人の印象でした。

若くして崩御した兄・武王に代わって、幼い甥(成王)を守り、周王朝の礎を築いた人物。この小説では、彼の呪術能力にフォーカスが当たっています。文字を読める人がごくわずかだった古代において、“文章を書く力”は呪術でした。未来を予見して原稿を作り、戦の前に王が読み上げることで力を発揮する。時に兵士を鼓舞し、時に沈静化させ、言語の異なる部族にまで団結を感じさせる。

小説『周公旦』の中に、易経の一節があります。

初筮は告げる。再三すればけが れる。 けがるれば告げず。

要するに、同じことを繰り返し占ってはいけないという禁止事項です。改めてこの部分を読み返してみると、三千年前にすでに現代に続く占いの体系が生まれ始めていたことを実感できます。
殷(商王朝)の占いは、願いを実現させるための魔術のようなものだったそうです。その結果は絶対に正しくなければならず、望んだ結果が出るまで何度でも占い直すことも当たり前だったとのこと。殷の王は神に等しく、威信を示すにはそうあるべきだったと。
ある選択肢の行く末を天に問い、「どう対応すればいいか?」と考えるスタンスの占い方は、周王朝の初期に確立されていきました。しかしながら、そもそも『天道、是か非か』なのです。天が与える運命が果たしていつも正しいと言えるのか?……永遠の疑問を抱えながら、それでも人は自らのベストを尽くしていくしかないのでしょう。

話が戻りますが、漫画版『封神演義』のラストで【歴史の道標】の手を離れた世界は、人間達が自分で考え、歴史を紡いでいく時代に突入します。天がすべてをお膳立てしてくれる予定調和の世界と、未来がどう転ぶか未知数のまっさらな世界。どちらがより良いものになるのかは、正直やってみないとわからないとしか言えません。どちらにせよ、人は望むもののため、守りたいもののために足掻いていくのだろうと思います。

ところで、小説『周公旦』に出てくる太公望も魅力的です。いよいよ革命軍が出陣という時、占いで凶が出ました。太公望は亀甲を踏みつけて怒鳴り散らすという大人げない態度を見せます。情報収集能力の高い彼には、「勝つなら今しかない!」とわかっていました。凶が出たのは、主国である殷を倒すことに不安を感じていた占者の内面が映り込んだせいかもしれません。
こちらの太公望にとっては、殷周革命以降の方が真の戦いだったでしょう。革命時すでに八十歳を過ぎていた彼は、その後三十年以上、一族郎党を守るために戦い続け、斉の国を超大国へと押し上げていきます。『誰かが敵であって欲しいと少しでも思うかぎり現役である』という、この小説における太公望は、狡猾で人間臭い性質ながらも、確かに王の器といえるキャラクターでした。


コンロンカから始まって太公望、そして占いへと、思わぬ方向へ話が進んでしまいました。漫画版『封神演義』と小説『周公旦』、どちらもとても面白い作品なので、未読の方は機会があれば是非読んでみてください。
(ちなみに、漫画版『封神演義』における例のハンバーグ事件について、小説『周公旦』を読むことで別の視点で受け止めることができるかもしれません。そういう意味でも、この2つは私にとって切り離すことのできない作品です。)

いいなと思ったら応援しよう!