ほんとのこと。~個人的な本の話~第二回
これは特に有益な情報など何もない、ただただ私が自分の本の体験談を話す、不定期連載的な記事です。
この記事を書くことにした理由などは第一回の冒頭にて。
初恋と名探偵の話。
私の初恋の人はアニメ『名探偵ホームズ』のシャーロック・ホームズです。
出会いは小学校2~3年生の時で、従姉の家にあったビデオだったと思います。
まあ、ハッキリ言ってしまえば実在しない人物な訳ですが、彼によって私の人生が大きく変わったよなと思い返すきっかけが近年重なりまして。
色々ありますが、思い返すきっかけは以下の出来事による影響が大きいです。
2021年09月に、ホームズシリーズの最も新しい翻訳である角川文庫版が、『シャーロック・ホームズの事件簿』の刊行によりシリーズ全9冊が出揃いました。
2023年はEテレの『100分de名著』という番組で「シャーロック・ホームズ スペシャル」という特集回が組まれたり、エクスナレッジから『シャーロック・ホームズ人物解剖図鑑』が出版されました。
2024年03月には、宮崎駿監督の演出によるアニメ映画『名探偵ホームズ』が全国でリバイバル上映されました。(TVシリーズの宮崎監督演出回と内容としては同じで、別のジブリ作品と同時上映されたもの)
先述のような世間的な流れと、個人的には昨年末くらいにポーの翻訳読み比べをしていて面白かったので、流れでドイルも少し読み比べていたというのもあって、自分の中でホームズ熱が再熱していたんですよね。
そんなわけで、少し筆をとって語りたくなりまして。
ご存じの方も多いかと思いますが、アニメ『名探偵ホームズ』は、原作(聖典)と内容は全くの別物の冒険活劇なんですが、ミステリ沼の入口に立って幼い私を案内してくれたのは彼です。
先日、リバイバル上映初日に観に行きましたが、前日はそわそわしてなかなか寝つけず、当日もスマフォのアラームより先に目が覚め、午後から仕事なのに一人で映画を見るためだけに(お出かけ用の)身支度を整え、映画館に向かう時は「デート前の女子の感覚ってこんな感じだろうか」とか信号待ちでドキドキしながら、正気を保って予約開始直後に押さえたちょっといい席に座り、大画面で初恋の人を浴びて、時を経ても色褪せないカッコよさを再確認すると同時に、少女に戻ってときめいてまいりました。
そして、このホームズを好きになったからこそ、今の私があるんだなと。
私がミステリ沼に足を踏み入れた最初の本は、小学3年生の時に読んだ、岩崎書店から出ている児童書版の名探偵シャーロック・ホームズシリーズ⑪『まだらのひも事件』でした。
新装版になり表紙の絵などは変わっていますが、訳は変わっていないようなので、そのうち全巻揃えたい。
なぜシリーズの⑪からだったのかは、今考えられる原因としてはおそらく、犬ホームズのサブタイトルと岩崎書店版の書名とで一致するのが唯一「まだらのひも」だったからだと思われます。そのワードを記憶していて、小学校の図書室の本棚から選んだのだと思います。
当然、学校の図書室は他の学年の生徒も借りるので、他の巻は貸し出し中だったりですぐに続きが読めないため、初めて市の図書館のカードをつくったのもこの時だと思います。図書館はいわゆる校区外にあったため、親に頼んで借りに行った記憶があります。
話は逸れますが、私の誕生日とクリスマスプレゼントは本かドリル(教材)でした。(お年玉は規定金額内で自由に選べましたが)
ですが、贈られる本は勉強に関係のあるものに限られていました。そのため、娯楽としての本の面白さを知ったのもこの時が初めてでした。
その話を10代の頃クラスメイトに話したら、プレゼントが勉強道具とか「カワイソウ」と言われ、「そうか、他の家は違うんだ」と自分の家の教育方針にモヤったりもしましたが、今思えばそれも良かった気がします。
そういう基盤が当時の自分にあったからこそ、子どもが自主的な読書を始めた際にぶち当たる漢字や難しい言葉によるつまづきを経験することなく没入できたのだと思うのです。
話を読書体験に戻します。
小学4年生になった頃には、校区外にも一人で行ってよいことになっていたので、市の図書館を利用して一人でどんどん読み進めていきました。
そして、児童書のホームズシリーズの横には、たいてい乱歩の少年探偵団シリーズが置いてあったのですが、当時の私はこれをスルーしているんですよね。(後に光文社版全集を自力で集めはじめますが)
私が初めて読んだ乱歩は、新潮文庫版『江戸川乱歩傑作選』でした。
収録作は「二銭銅貨」「芋虫」「二癈人」「D坂の殺人事件」「心理試験」「赤い部屋」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」。
小学校4年生で、少年探偵団モノをすっ飛ばして、このラインナップの世界観にドはまりしました。
ホームズシリーズを読み終えて、もっとこういうものが読みたい!ってなったから、ミステリ系で探したんでしょう。(厳密には全然<こういうもの>ではなかったけどw)
なぜ児童書ではなく大人向けの本を選んだのかは、これも今となっては推測になりますが、考えられるのはこんな感じ。
・児童書では物足りなくなっていた。
・当時図書館で借りられる本が5冊くらいで、児童書はかさばる割に文字の量が少ないことがネックだった。
・話がたくさん入っている! 「殺人事件」てタイトルのがある!
くらいの理由で、特に乱歩が有名な作家だから選んだという訳では無かったはずです。(誰の作とか小学生の頃はどうでもよかったですし)
同時に大人向けのホームズシリーズも借りて少し読みましたが、既に事件の内容が(児童書版で)ネタバレしている状態では子どもの私には楽しくなく、クリスティの『そして誰もいなくなった』も10人以上いる登場人物の横文字の名前に苦戦し没入できず、ヴァンダインの『僧正殺人事件』も同じような理由で面白かったけど海外作品特有の理由に苦戦した記憶が残り、ホームズの次に読もうと借りた中で唯一の国内作家が乱歩だったんですよね。
他の作家がダメだったというより、単純に乱歩の文章と相性が良かった。
乱歩は大人向け作品でもサクサク読める文章ですし、目当てで借りた『D坂』は登場人物も少なくて、当時の私にちょうどいい塩梅だったんだと思います。
ただし、『江戸川乱歩傑作選』で乱歩にハマったのは『屋根裏』や『二銭銅貨』の推理系ではなく、『人間椅子』や『鏡地獄』だったのですが……それはまた別の機会に書こうかなと思います。
ホームズ→乱歩の流れでミステリ沼にハマり、そこから国内ミステリを読み漁る小学校生活を過ごした訳です。
ですが、その面白さを誰かと分かち合うことはありませんでした。
高学年時は殆ど学校に行けておらず、文字通りの本が友達。
私は本によって救われた子どもの一人でした。
ホームズとの出会いが無ければ、娯楽として本を読むことも知らず、ミステリというジャンルにも出会わずにいたかもしれない。
もしかしたら、本がなければ現実から逃げる方法を見つけられずに、命を絶っていたかもしれない。私が死んでも問題は何も解決しないのに。
名探偵たちに出会わなければ、ままならない人生の安易な解決方法として、復讐を考えたり、負の連鎖に加わる人間になっていたかもしれない。
一つの言動や行動について深く考えたり、物事を別の立場から視る癖を身に付けることが出来たおかげで、少なくとも過去の自分を軽蔑することはしなくて済む幼少期を過ごせたと思う。
未だに人生の問題は増える一方で、解決出来たことなんてほとんどないけれど、それでも解決を手放す、他人に委ねる、という選択をとらずにカッコ悪くもなんとか生きていけているのは、今まで出会った名探偵たちのおかげなので。
先日、リバイバル上映を観て、少し背筋が伸びた気がします。
あんなカッコイイ人にはなれないけれど、せめてこの姿勢が歪まないように生きようとおもいます。