(詩)別れ
別れ
二十年の歳月と
地球五周分の走行距離を遺して
その車は力尽きた
その旧式のステーションワゴンを
「愛車」と呼んだことはなかった
世の中には車に名前をつけたり
話しかけたりする人間もいるらしいが
ぼくには考えられないことだ
車は道具
走ればそれでいいと思ってきた
シートには子どもがこぼしたジュースの染み
すり傷を安いペイントで処置したために
そこだけ違う色になったボディ
ホイールは錆が目立つようになり
バンパーのへこみもそのまま
洗車もほとんどしたことがない
それでも車はいつもそこにあり
職人の使い込んだ道具のように
ぼくの身体の一部となっていた
二十年も運転していると
車両感覚が完全に身について
どんな狭い道でも通ることができた
お世辞にも綺麗と言えない車には
家族の歴史が染み付いている
子どもが急病になり
病院まで乗せて走った
豪雨の夜道
仕事上の危機に絶望し
路肩に車を留めて
フロントガラス越しに仰いだ空
休日のドライブの帰り
疲れて眠る子どもを後ろに乗せ
満ち足りた沈黙の中
妻と走った湾岸道路
数度の引っ越し そして
数え切れないほどの駅への送り迎え
それらの思い出を語るとき
車に言及することはなかった
芝居の書割のように
いつもそこにあった車のことを
そんな我が家の車もついに限界を超え
走行に支障をきたすようになった
ちょっとした事故を起こして
レッカー車で運ばれたが
ブレーキに不安があり
結局廃車にすることになった
しょせん車は道具
古いものが使えなくなれば
新しいのに乗り換えればいいことだ
だが手配された代車に乗り込むと
キーを差し込む穴がなくて呆然とする
今どきの車はボタンひとつで始動できる
そんなことすら知らなかった
時代は変わり 便利になった
だが何か物足りない
ぼくはぎこちない動作で
代車をスタートさせた
数日後
廃車の手続きを終え
車内の私物を引き取りに行った
修理工場の駐車場で対面した車は
小さく疲れきったように見えた
ホイールの錆びついた車輪は
ぼくらを乗せて何万回転したことだろう
よく握る箇所がなめしたようになったハンドル
それを握ることは もうない
晴れた日の午後だったが
両のヘッドライトが濡れたように光ったのは
気のせいだろうか
あと数日でスクラップになるこの車
ただの道具だと思っていたのに
胸にこみ上げるこの感情はなんだろう
隣では妻が涙を流しながら
最後の写真を撮っている
ぼくは二十年ではじめて
車にそっと言葉をかけた
「さよなら そしてありがとう」
(MY DEAR 317号投稿作・改訂済)
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