(詩)朝のリチュアル
朝のリチュアル
凍てつく冬の朝
洗面台の前に立つ
蛇口をひねり
氷のように冷たい水が
温かくなるのを待つ
立ち上る白い湯気
陶器のボウルに湯を入れ
豚の毛で作った
ブラシを浸す
ぬるま湯で丁寧に顔を洗い
ひげは濡らしたままにしておく
シェービングクリームを
チューブからきっかり二センチ絞り出し
湯を空けたボウルの底に塗りつける
ブラシの水を軽く振り落とし
クリームを泡立てる
生クリームくらいの固さになったら
顔に塗りつける
ブラシで円を描くように
時間をかけて顔面をマッサージする
使い込んだ豚毛のブラシは
毛先が細かく裂けて肌当たりが良い
クリームの温かい泡が肌を包み
心地よい香りが鼻腔をくすぐる
クリームを充分顔に馴染ませたら
おもむろに両刃の剃刀を取り上げ
ゆっくりと剃り始める
刃を肌に軽く当て 力を入れずに
ずっしりしたドイツ製ホルダーの重みだけで剃る
ちりちりと ひげが切れる音がする
雪かきをした跡のように
顔の白い部分がしだいに減っていく
電動式を使ったこともあるが
結局落ち着いたのが
昔ながらのこの剃り方
男にとって 生きるとは
ひげが伸びること
だからひげ剃りは
自分が生きていることを
確かめる儀式だ
儀式ならば
電気を使うなど野暮なこと
手に馴染む良い道具を使い
時間をかけて行うほうがいい
両頬から剃り始め
次におとがいを剃り
最後に口の周りを剃る
もう一度クリームを塗って剃る
最初はひげの流れに沿って順剃り
二度目は逆剃りにする
鋭く研ぎ澄まされた刃で
肌を切らずにひげだけを切る
緊張と集中 そしてカタルシス
もう何十年も
こうしてひげを剃ってきた
十代で初めてひげ剃りをした時
慣れない剃刀で切り傷を作りながらも
大人の仲間入りをした気になった
今では慣れたミサを執り行う老司祭のように
一連の所作を身体が覚えている
ひげ剃りは孤独な儀式だ
毎日毎日
ひげは几帳面に毛穴から顔を出し
毎朝毎朝
ぼくはそれを短くしていく
レジから出るレシートをちぎり取るように
一日分のいのちを贖った証文として
嬉しいときも悲しいときも
ひげは日々おなじだけ伸びてきた
学生時代 貧乏旅行の安宿で
初めて買った家の真新しいバスルームで
子どもが生まれた日も
仕事にあぶれ食い詰めたときも
そして
娘が嫁に行った あの日の朝も
ひげはことの善し悪しを論じたりしない
いつどんな境遇にあっても
ただ黙って伸びてきて
ぼくはそれを黙って剃り落とす
昨日までぼくの一部だったひげは
ちりちりと顔から削ぎ落とされ
やがて流れる水とともに
排水口の中に消えていく
それは二度と戻ってこない
そして
今日のひげが新たに伸びてくる
万物が流転するこの世界にあって
この日課だけは変わることがなかった
だが
黒かったひげにも
いつしか白いものが交じるようになった
己に与えられた いのちの長さの
どれだけをすでに剃り落としてしまったのか
あとどれだけ残っているのだろうか
やがてこのいのちが尽きるとき
ひげは伸びることをやめる
最後のひげは 棺に入る前
見知らぬ他人が剃ることになるだろう
今日も自分の手でひげが剃れる
ささやかな幸せ
仕上げの洗顔を済ませ
化粧水をつけると
ぼくは顔を上げた
鏡の中からは
こざっぱりした なめらかな肌の
だが昨日より少しだけ老いた男が
こちらを見つめている
儀式を終えた司祭が
祭壇から離れるように
洗面台を後にする
窓の外では
今年はじめての雪が舞っていた
(2020年12月12日 MY DEAR 投稿作)
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