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(詩)下り
下り
朝起きて
顔を洗い コーヒーを淹れ
変わり映えのしない朝食を摂りながら
ニュースアプリを開く
おれが寝ている間に
世界で起こった出来事の一部が
アルゴリズムの篩にかけられ
液晶画面を流れていく
話題の新製品
スポーツの試合結果
芸能人の結婚(あるいは不倫)
政治家の国会答弁(あるいはその拒否)
そして
戦争と虐殺
海の向こうの
熱く乾いた国では
民家をミサイルが吹き飛ばし
人々が生きたまま焼かれている
SNSでは
子を失った女が嘆いている
動画のリプレイボタンを押すたびに
彼女の眼から涙が流れ落ちる
別の投稿では
海外のインフルエンサーが
傍観を決め込む自国政府に
怒りをぶつけている
彼女が頭を振るたびに
高価そうな金のイヤリングが
きらきらと輝く
それらの投稿は
ディズニーランドで撮った家族写真
山盛りのラーメン
癒し系動物動画
そしてもちろん多数の広告
の濁流の中に浮かんでは流れゆく
おれはスマホをしまい
身支度を終えると家を出る
*
地下鉄のホームに続く
長い長いエスカレーター
ステップの左側に
行儀よく立ちながら
行く手にぽっかり口を開ける
薄暗い穴を見つめる
自分の頭で考えず
屠殺場に向かう家畜のように
おとなしく列をなして
下へ 下へ
そしておれは
さっき見た母親の涙を思い返している
おれが柔らかいベッドで安眠を貪る時
家を追われる人々がいる
おれが熱いシャワーを浴びている時
子どもたちが焼夷弾の焔を浴びている
おれが息をすると
幼子が餓死する
おれが口をつぐむと
女が凌辱される
偶然の一致?
いやそうではない
強き者たちが弱き者たちを
追い詰め圧殺する時
不正から目を背け
強者と裏で手を組む
そんな世界の一員である限り
おれたちの手は血に汚れている
ただ存在するだけで
誰かを傷つけているのだ
ではどうするのか
抗議?
署名?
デモ?
ボイコット?
おれのちっぽけな正義など
灼けた砂に吸い込まれる
ひとしずくの涙のようなもの
そしてそれらも結局
自らの正義感や
承認欲求を満足させるために
他者の苦しみを
食い物にしているだけかもしれない
逡巡している間にも
ジェノサイドは確実に進行し
下へ 下へと
世界は動き続ける
その中で数段上ったところで
みな同じ地獄に降りていくのだ
だがもし
もっとたくさんの人が声を上げたら?
エスカレーターを操作している連中が
無視できないほどの勢力になったら?
砂漠に降り注ぐ水も
大雨になれば
そこに川ができ 花が咲く
もしかしたら
下りを上りに変えることさえ
できるかもしれない
おれは向きを変え
困惑する通勤客を押しのけながら
下りエスカレーターを上り始めた
大事な忘れ物をしたかのように
(MY DEAR 338号投稿作・改訂済)