僕と彼女

「君は相変わらず物事を考えすぎるきらいがあるようだ」
久しぶりにうちへ帰ってきた彼女は、一人で二人掛けのソファーを占領しながらそう言った。くぁぁ、と欠伸をしてごろりと仰向けに寝転がる。
「君が考えなさ過ぎるんだ」
「私は私だよ下僕くん。とりあえず食事を用意してくれたまえ」
ふふん、と彼女は鼻で笑った。毛づくろいをしながらにゃおんと鳴き、ごろりとうつ伏せになる。僕はそんな彼女を横目で見ながら、お皿にじゃらじゃらとキャットフードを注いだ。
「君はいいな。気まぐれに生きられて」
「そうかな。私は私でいろいろと大変なのだよ。これでも」
僕の皮肉は彼女には通じない。ソファーの近くに餌の入った皿を置くと、彼女はまたごろりと転がって床に降り、じゃらじゃらと餌を頬張り始めた。
「生きるというのは大変だね。特に君は」
「わかってるなら、勝手にいなくなるなよ」
「へえ。私がいないのは寂しいかい」
「まあまあ、ね」
「ふうん」
じゃらじゃらと彼女は餌を無心に頬張る。僕は彼女の傍に座り、彼女の背中を撫でた。普段は怒られるのだが、今日は特別許してくれるらしい。
「親友が、死んだんだ」
彼女の返事など期待せず、独り言のように呟く。
「忙しくてしばらく会えてなかったから、近況はわからない。何があったのかわからないが、自殺だったらしい。死ぬ素振りなんてみせなかったのに」
「そりゃあそうだろう。死に際なんて見られたくない。それは一種の美学だよ」
「そういうことじゃない」
僕はソファーにもたれかかって、彼女の背中に体温を感じたくて手を置いた。ふと思い出して締めっぱなしだったネクタイを緩め、大きく息を吸って疲れが空気と共に出ていくようにはぁーと長く息を吐いた。
「俺より先に死ぬなんて、思ってなかった」
クククと彼女は喉で笑った。
「お前は神様か何かか?お前が知らないところで死んでいくものたちなんて五万といるぞ。神様ですら把握できないほどにな」
「……そうだな」
「他者の行動なんて予測不可能なものだよ。私のように」
「お前が特別予測できないだけだ。あいつは――」
そんな奴じゃなかった、と言いかけて止どまる。昔はなんでも解り合えた親友だった。けれど今は、大人になってからは。
「自惚れだよ少年。誰かのことなんて本当に理解はできないものさ」
「仕事で悩んでいたのか、人間関係で悩んでいたのかわからない。もっとちゃんと会ったり話したりすべきだった。そしたら、もしかしたら」
「死なずにすんだ、か?そんなわけあるか。それこそ本当の自惚れだ」
餌を食べ終わった彼女は手で丁寧に口元を拭う。
「自分の死も他人の死も誰にも操作できない。もしできたのならそれは本人の気が変わっただけだ。意志が、変わっただけだ」
「理解できないな。あいつは僕みたいな、死にたがりじゃなかった」
「死にたがりほど死ねないものさ」
「なんでそう思う」
「死を身近に感じているやつほど死と同化している。生きながら死んでるやつが本当に死ぬことほど難しいものはないよ」
見せつけるように彼女は僕の膝の上に乗ってきて、喪服の黒を塗りつぶすかのように体を擦りつけてきた。
「死にたかったら生きようとすることだ。生に真正面からぶつかって初めて死ねるのさ」
「君は、ぶつかってるのか」
「ぶつかってないとでも?こんなに一生懸命生きているのに?」
「一生懸命には見えないな」
「それは人間だからだ。私は猫として一生懸命生きているのだよ。猫として、猫らしく」
「それは僕に人として人らしく生きろと言ってるのか」
彼女の頭に手を置く。彼女はごろごろと喉を鳴らした。
「そうだ。死にたければ一生懸命生きることだ、青年」
「……嫌だね」
「そんなんだからいつまで経っても死ねないのさ」
「余計な、お世話だ」
「そうかな」
散らばった飲みかけの錠剤と、なんとはなしに買った紐と、百均で買ったカッターナイフ。
「死ぬ気があっても生きる気がなければ死ねないよ。だって生きていないのだからね」
 彼女は今日も、気ままに欠伸をする。

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