VR幸せのかたち

 医師から言い渡された事実は今の私達にとって、いや、今となっては私だけにとって、とても残酷なものだった。
「残念ですが、あなたの体では子供は産めません」
 そう言われた瞬間私の頭の中は真っ白になった。彼と思い描いていた将来、理想の家族像、それらが一気に塗りつぶされて、何も見えなくなってしまった。頭が真っ白なまま彼に電話しこのことを伝えると、子供は欲しいから……と結局別れを告げられて、私の目の前は真っ暗になった。

「それで、別れたの?」
「うん」
 VRゲームで知り合ってそこそこ経つ友人――エクスに、愚痴るようにこのことを話すと、彼女(もしかしたらボイチェンしている〝彼〟かもしれないと思っている)はふうんと首を傾げた。
「不思議な話。結局欲しいのは子供の方で、ミキのことじゃなかったってことでしょ」
「そう、だね」
「ミキが好きだから一緒にいたい、っていうのが大本にないとダメなんじゃないの?結婚とかそういうの考えるときって」
「どうなのかな。私は彼が好きだったし、彼との子供が欲しいって思ってた」
「今なら代理出産とか体外受精とかいろいろやりようはあるのにね。それでフるなんて冷たいやつ」
「今ならそう思えるよ」
 当時は頭は白くなったり黒くなったりで忙しくて、そんなことを考える隙間などなかった。けれどこんなことで振られるようでは、結婚していたとて到底上手くいっていたとは思えないので、結果良かった、と思うことにしている。
「じゃあさ、ミキ」
「うん?」
「私と家族になろうよ」
「……え?」
 HMDの向こうで笑っているのだろう。フェイシャルキャプチャーで捉えられたエクスの顔は笑顔のようで、彼女のアバターである猫娘の子は眩しいばかりの微笑みをこちらに向けた。
「子供、欲しいんでしょ?」
「うん、まあ」
「でも現実では難しいんでしょ?」
「うん」
「私のこと好き?」
「え、き、嫌いじゃないけど……」
「女の子の私じゃだめかな」
「いや、わかんないよ、急に言われても」
「じゃあ男の子になろうか」
 ちょっと待ってね、とエクスはボイスをオフにした。モーションキャプチャで捉えられた動き的にHMDを外して何かをしているようだ。再びHMDを被った後にエクスはアバターを猫娘から猫耳の生えた男の子に変更して、きょろきょろと自分の体を見回し確認してこちらに向き直った。
「うん。これでいいかな」
 エクスの口から出てきたのは立派な男性の声だった。ボイチェンかもしれないな、と感じてはいたが、実際にそうであることを目の当たりにすると少し動揺してしまった。
「あ、あ、あー、声出てる?」
「う、うん。聞こえてる」
「良かった。――まあ、急に言っちゃったけどさ」
「な、なに?」
「ミキのこと好きだったんだよね。だから今フリーってわかって、告白しちゃった」
 へへへ、と彼ははにかんで頬を掻いた。その向こうは、画面の向こう、その更にHMDを外した素顔は、一体どんななんだろう。
「あ、もしかして女だと思ってた?ボイチェン使ってるって気づかれてるなーと思ったから言っちゃったんだけど」
「薄々そうじゃないかなーと思ってはいたけど……その、びっくりしてる」
「そうだったか。じゃあ急にとは言わないよ。しばらく〝男の〟私と付き合って、もし良かったら、正式に付き合って欲しい」
 どうかな、と彼は握手するように手を差し出したので、私はその手を握り返して、うん、と言った。

 機械越しでも、あたたかさは伝わるものなのだと知った。彼の手はあたたかい。私の手を優しく握るとき、私の頭を撫でるとき、彼の手はあたたかい。それはただのHMDに映された電気信号でしかないし、あたたかさなんて握るコントローラーの熱でしかない。けれど彼は確かに温もりを持った存在に感じられて、バーチャルだからと変に距離を詰めてこず、無駄に甘い言葉を囁かず、今まで通り私といてくれた。ただ少しずつ接触が増えていったのは、私から距離を縮めたからで、いつのまにか、それだけ彼と一緒にいたいと思うようになっていた。
「エクス」
「なに?ミキ」
「……結婚、しよう」
 私がそう言うとエクスは目を丸くした。HMD越しの顔が容易に想像できてしまうほどエクスのアバターは目をまん丸くしていた。目を丸くした後、ふ、と彼は噴き出して、はははと笑い声をあげた。
「びっくりした。まさか先にプロポーズされるなんて思わなかったな」
「あ、ごめん、変だったね」
「いや、嬉しいよ。それはバーチャルで?それともリアルで?」
「リアルじゃ私、子供できないから……」
「別に俺は気にしないけど。子供はバーチャルで作ればいいし」
「そもそも、リアルのことまで考えてくれてたの?」
「考えてたよ?俺は」
「会ったことないのに?」
「中身がこれだけ好きなら外見なんてどうでもいいよ」
 急な甘い言葉にぞわぞわと鳥肌が立った。なんだか恥ずかしくなってトラッカーを投げると、エクスは腕がねじれてる!と笑った。

 バーチャルで子供を持つというのは、バーチャルとはいえなかなか難しかった。AIが魂を持つかどうか、ロボットが生命体足り得るかどうか、というのは十九世紀後半からもう既にフィクションで取り上げられ問題提起されていたことだが、その結論はまだ出ていない。むしろこうした社会実験と言える規模のプロジェクトを経てこういったことは決まるのだろう。私たちはリアルでも結婚し、このVRゲームの中でも結婚の手続きをし、子供を授かりたい旨を申請した。ある程度の自動学習プログラムはかなりの水準になっていて、あとは本当に私達の育て方によってどう成長するかが決まるらしい。もし実現可能となれば、人間そっくりのロボット、ヒューマノイドにそのAIを搭載し、現実でも子育てができるようにしたいという理想もあるらしかった。ヒューマノイドに興味はなかったが、諦めていた子供が持てるという喜びは何にも代えがたかった。
 出産という行為はなく、運営からプレゼントボックスで小さな球が届くだけ。その球とできるだけ長い時間いるようにすると、実際の時間ではなく接している時間だけ時が進み、細胞分裂のようにしてだんだんと人型になっていく、というものだった。人によっては少しグロテスクに感じてしまいそうだが、こうして大きくなる過程を見られるのは妊娠しているときエコー検査で胎児の成長を見ていくようで、私は嬉しく興味深かった。
「かわいいね」
「そうだな」
 仕事などでVRで入る時間が取れないときは、二人でデスクトップの画面から私達の子供を見守った。
「……これが命じゃないんなら、なんなんだろうな」
「……不思議だね」
 時折私たちはそういった会話をした。この球体が人型に近づけば近づくほど、これが命でもなくて魂でもないならなんなのだろうか、という問いだけ繰り返した。
「魂って、電子にも宿るんじゃないかって、俺は思うよ」
 人型になった私達の子供を抱いて、彼は言った。
「この子が美紀との子供なんだって、ちゃんと思える。ちゃんと信じられる。俺たちが信じたら、この子はもう人間なんじゃないかな」
 手袋型のコントローラーから伝わる温もりは、冷たい手袋の感触ではなく確かに赤子のそれで、私たちにとってこの子の存在は現実でしかなくて、子供を持つことができないと宣言され真っ暗闇に放り出された私にとってこの子は、救いの天使だった。
「私も、そう思うよ」
 この子を現実でも抱くことができたらどんなにいいか。でも今はこれで、十分だ。仮想現実だって、現実の一部なのだから。

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