HSP番外編:「有能」より「有用」でありたい。
※このシリーズは、日頃noteと接点の薄いHSPの方々へ向けて作る資料のベースとして書いています。なのでこの一連の記事は、私の脳内に住む小人の、教師・アドバイザーキャラが担当しています。^ ^
なぜHSPは自分の利点や長所を知るべきなのか?
今回書いているHSPシリーズは、HSPの優れた能力や利点を明らかにすることに他なりません。とはいえ、非HSPよりHSPが人として優っている、社会の序列として上だとみなす、……このような見方は間違っています。低い自尊心を他者を見下げる意識によって慰めるのはよくないですし、発信者側が、「自分に自信がない弱い人」などとHSPを低い位置に据えた上で、「でも本当は才能が豊かな人」のように過度に「自己愛」を煽る形でHSPを持ち上げてしまうのもおかしいのです。(日本の書籍編集者側にその傾向が少なからずあるように感じます。邦題や帯、見返しの売り文句がそれです。)弱くてダメな人→本当はすごい才能がある! こんな優劣をつける視点ではなく、役割という考え方が大切だと思います。
人としての価値は、特定の状況においてその人が何を学びどう行動するか、にあるに違いありません。困っている弱者に対し、さてあなたは持てる力を活かして助けを差し伸べるのか? 力を出し惜しみして見過ごすのか?
HSPには人一倍共感力があります。かといって、自分の敏感さを気にしすぎて、助ける力があるにもかかわらず控えてしまうHSPと、自分のことなど気にもとめず、助ける力を颯爽と活かす非HSPと、果たしてどちらが人として価値があるといえるでしょう。
他の人に見てもらえるよう自分に貼り付けた「ラベル」に価値があるのではありません。人は誰しも各状況において、持てる力をどう活かしているか? が大切なはず。そこが人としての価値を測る基準に違いないはずです。優れた能力を持って生まれた時点ではまだ価値は生まれていません。
精緻な装飾が施された美しいナイフがあるとしましょう。それは丁重に扱われ飾り棚に入れられ人々から日々称賛を受けていますが、一度も使われていません。片や何の変哲もない素朴な造りのナイフがあり、それは来る日も来る日も人々の生活の中で調理や工作などに使われ続けました。……ナイフとしての役目を全うしたのはどちらでしょうか。どれほど役割を果たしたか、が物の本来の価値なのです。人もまったく同じですよね。
持てる力をどう活かすか?
「有能」であるより「有用」でありたいですね!
そのために──つまり自分を役立たせるために、まずは自分の内側に潜んでいる力や特徴を把握しておく必要があるというわけです。しかもその内側に存在するはずの力や特徴は、HSPの場合は往々にして社会的通念によって無きものとされていたり、自らが無意識のうちに抑圧したりしている可能性があるので、まずはそれを掘り起こし、正確に「感じ取る」必要があるのです。
熱心な研究者たちが、そのような深い場所に封じ込められた複雑に絡み合う心理の機能を解き明かしてくれているので(しかもそれは日々進化している!)、私たちはその熱意に応えて、丁寧にそれらを拾い上げてゆきたいのですね。過度に落としたり上げたりせず、フラットで、ニュートラルな目線で、HSPならではの特徴を把握していきたいですね^ ^
HSPと自称する人々の中には、「私はHSPだから(気を遣って)」と言い訳のようにこの言葉を使う人もいます。また「HSPだから、小さなことで悩んでしまうんです」と自信のなさをHSPの変わらない気質だと信じ込み他の人に伝えている人もいます。
自分を正確に知り、そして自分を正しく愛す。これができない人がどうして他の誰かの姿を正確に知ったり、正しく愛したりすることができるでしょうか?
他人を愛する、そのために自分を愛するのです。自己理解からスタートして、最終的に「有用」な人を目指す。これが何より素敵なことですね^ ^
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