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小説を書くとき視点がブレる方へ:人称・視点の分類とルール【保存版】

過去数年に亘り、同人作家さま方を対象に、小説作品の文章面へ指摘アドバイスやリライトのサービスを提供してきた水那田が、サービスで得た知識とスキルを活かし、今小説を書き始めたばかりの人にドンピシャのお悩み解決記事をアップしていきます。すべて無料です。よろしくどうぞ。



視点がブレるのはなぜ?

依頼を受けてきた経験上知ったことですが、特に二次創作を書く人を中心に初心者の多くが、視点がブレてしまう、各人称の違いがよくわからない、という問題を抱えています。中には間違いに全く気づかないまま文章を書いている人もいます。

あなたはいかがですか?

・「三人称」って意味は分かるけど、人物の心情をどこまで書いていいのかわからない。

・一人称で書いていたのにいつの間にか神視点みたいになってしまう。

・視点がブレていると言われたけど、自分では違いがよくわからない。

もしこのような悩みをお持ちなら、この記事をぜひ活用してください。

普段小説を読むより映像作品に多く接している方は特に、いざ書き始めると難しさを覚えることが多いようです。人称視点について慌てて調べてみたはいいものの、一人称はこう、三人称はこう、というざっくりした説明を見ても、細かい点がなかなか分かりづらいですね。
プロ作家による指南書や一般的な解説文などを見ても、書き慣れていない人が陥る具体的な悩みへの解決策はほとんど載っていません。なぜかというと、そもそも彼らはその悩みを持っていないからです。

各人称視点を考えるとき、

・何を書けて何を書けないのか
・語り手と視点主の関係はどのようなものか
・視点と目線(カメラの位置)の違いとは
・主観と客観のバランスをどう取るか

このような点まで把握できないと、実際に書く際、明確な違いを理解することは難しいのです。

一人称はともかく、三人称には三つのパターンが存在しています。また三人称の各パターンにおいては、視点と目線の違い、主観、客観表現の違いなど考慮すべき要素が複雑に入り組んでおり、構造を理解できていないと混乱するのは当然です。

例えば、同じ三人称でも語り手が視点主の目線に寄った書き方と、誰の目線にも寄らず語り手本人の目線で書く方法では全然違うものになります。記事内ではこうしたかなり細かい部分にまで踏み込んだ解説をしていますので、ぜひ保存して今後の参考にしてください。

分類のあとに、「各人称視点の例文」も添えています。同じ場面が、視点の違いやカメラ位置(目線)の違いでどう変化するのかを見比べることができます。


※この記事の内容は、あらかじめプロ作家に校閲(事実確認)していただきました。あくまで一つの物差しではありますが、事実から大きく外れてはいないのでご安心ください。

人称・視点の分類とルール

用語のかんたんな解説

まずは、独自の用語や項目を設けていますのでその説明をしておきますね。一般的な意味合いと違うものもあるので注意してください。

語り手:物語を語っていく存在。語り手、語り部。基本的に小説内に一人のみ(複数の場合でも章で分けるなど一場面においては必ず一人)。

視点主:物語の中で出来事や事象を受け止めていく人物。物語を誰の観点から切り取って語るのか、ということ。

カメラの位置:どの地点から見ているか。目線がどこにあるかを示す。視点とは別の意味なので注意。(視点主が、誰の目と心で事象を捉えるのかという意味であるのに対し、カメラの位置は、事象を捉えるときの距離感を表す。)

人称:語り手が視点主をどう呼ぶか。一人称の場合は自分とイコール→「私」「僕」など。三人称はすべての人物を同格に呼ぶ→「鈴木」「マイケル」など。

認知レベル:視点主が知らないことをどこまで書けるか。語り手が知り得ている物事の範囲。

文の特徴:主観で書かれるか、客観で書かれるか。目線は視点主にあるのか、語り手にあるのか。表現の特徴、文体、スタイル。

向いているジャンル:選択の目安にできる向き不向きについて。

難易度レベル:星5つ。多いほど難易度が高い。書きやすさのレベル。

注意点:書くとき特に注意すべき事柄。


小説は「台詞」と「地の文」で構成されますが、地の文には「心の声」と「説明」と「描写」があると言えます。これらの語も文中に使用しています。

「心の声」……モノローグのこと。地の文に直接書き込まれる、声に出していない声。声に出した台詞、会話はダイアローグ。


さて、ではさっそく各人称視点を解説していきましょう。

◼️「一人称」

人称:「私」「僕」など自分自身を指す呼称。語り手と視点主がイコール。

語り手:視点主とイコール。当人そのもの。つまり小説内の語りは、視点主の〝心の書き写し〟である。

視点主:語り手と差異がない。物語の登場人物であり、多くの場合主人公である。

カメラの位置:視点主の身体内部にあり、目と心を通して周りの事象を写し取っていく。目線は常に語り手である視点主にある。

認知レベル:視点主が知り得ない事柄は一切書けない。

文の特徴:視点主の主観のみで書き進める。心の声を多く含めても違和感がなく、むしろ表現の強みとなる場合が多い。説明と描写も視点主の目と心を通して描き出される。文章がすべて視点主の心の書き写しとなる。

向いているジャンル:視点が一人物に固定されるため、登場人物の内面を深く描き出すタイプの小説。恋愛ものなどを例とする人間ドラマなど。


難易度:★☆☆☆☆
制限があるものの、非常に書きやすい。

注意点:視点主が知り得ない事情や自身の背後の様子など、見聞きし得ない情報を書き込まないこと。さらに語り手と視点主が同一であるため、以下の制約がある。

↓ ↓ ↓

①文章に現れる知的レベル(知識や教養の幅、深さ)が、視点主である人物のものと合っていないと違和感が生じる。
例:小学生の主人公なのに、難しい語彙や言い回しが連発する。

②文章に表れている性格が、視点主の性格そのものでないとミスマッチが起きる。
例:大雑把で荒々しい主人公なのに、細やかな風景描写が多く、言い回しが繊細。

Q:時間軸が移動した表現は書いても大丈夫なの?

リアルタイム型に一部回想型が入り込むことような表現がよくありますが、これは許容されるでしょうか?

例)このとき僕は、この些細な事件があれほど大きな社会問題に発展するとは思いもしないのだった。

答え:許容するか否かは賛否両論あります。混乱しない範囲、頻度なら問題ないと言えます。

Q:一人称の種類「型」とは何?

厳密にいうと一人称にも二種類あります。今の現時点から語る「リアルタイム型」と、過去を振り返りながら語る「回想型」です。
リアルタイム型は出来事に対して顕著に主観的、体感的に語られますが、後者はあくまで主観でありつつ本人にとっては客観視した語り方となるものです。一般的にはリアルタイム型が多く、ここではこれを一人称の特徴としています。

◆一人称のまとめ◆

視点主以外の人物の心情を直接描くことはできなくても、視点主から見た他者を生き生きと描きだすことで、読者に臨場感を与えることが可能です。認知レベルの不自由さのため、制限のある書き方ではありますが、そこが書きやすさにも繋がっており、登場人物たちの心の機微を表現するのに向いている魅力的な人称視点と言えます。


◼️「三人称一元視点」

人称:対象人物の名前や呼称。※「彼」「彼女」は違和感を生むケースもあるので注意して使う。

語り手:登場人物とは別にいる第三者。物語中の一視点主の目と心を通して語る。

視点主:物語中の一人物(多くの場合主人公)に固定される。

カメラの位置:視点主の身体にくっ付いている、あるいはやや後方にある(これを当記事の中では『主観寄り』と表します)。また場面によっては身体を離れ、俯瞰に近い位置にくる(当記事で『客観寄り』と表します)。つまり目線が視点主に寄ったり、語り手に寄ったりする。

認知レベル:視点主の知覚情報のみに限定される。

文の特徴:一人称のように視点主の主観で語るが、客観的な言い回しも入り得る。つまり一人称に近いほどのレベルで視点主の目線に寄った表現と、明らかに視点主から距離をとった、かなり客観的な表現とがこのスタイルには存在し得る。表現の幅が大きい人称視点である。
人称部分を「私」「僕」などに換えても論理面での破綻が起きない。ほぼ全体が主観に寄って書かれた場合、人称以外地の文が一人称と少しも変わらないのが大きな特徴。

向いているジャンル:視点が一人物に限定されるため、一人称と同じ考え方が可能。ただし、客観に寄った表現を多く含む場合、ストーリー重視の作品にも向いている。人物の内面よりも出来事、背景などを多く書きたい話はそのような書き方になる。

難易度:主観寄り★★☆☆☆   客観寄り★★★☆☆
どっちに寄るか、どの配分にするかで難易度に幅がある。前者はほぼ一人称と同じ条件。後者は目線が俯瞰位置にくるせいで視点軸が視点主から語り手に移る危険があり、やや難しくなる。

注意点:語り手と視点主が分離しているため、目線(カメラの位置)に幅があり、心の声などの主観的表現と、冷静な言い回しの説明や描写などの客観的表現が入り混じり、視点が混乱したかのようなナンセンスな文章に陥る危険性が高い。主観と客観の配分や視点の統一感を出すには書き手のセンスが問われる。後述の例文を参照。

◆三人称一元視点のまとめ◆

視点主の内面を細かく描き出せる一方、語り手が視点主当人ではないため、一人称には存在し得ない客観的な言い回し、冷静な説明も入れられるのがメリットです。一人称と三人称のいいとこ取りをした書き方と言われています。初心者はあまり目線を引かずに(つまり客観的表現を入れずに)一人称に近い書き方に寄って書くと書きやすいかもしれません。『なんちゃって一人称』とも呼ばれる書き方です。


◼️「三人称中立視点(完全客観視点)」


人称:対象人物の名前や呼称。

語り手:登場人物とは別にいる第三者。物語中の誰かの視点に寄り添うことがない。

視点主:第三者である語り手本人。登場人物ではないため映画の視点とも言える。

カメラの位置:状況を俯瞰できる場所にあり、様々な人物の様子を外側からのみ捉える位置にある。映画のカメラの目線です。

認知レベル:誰の視点にも捉われないため、誰も知り得ない情報や登場人物とは関係ない場所で起きた事象などを書くことが可能。

文の特徴:登場人物であろうが第三者であろうが誰かの主観を一切書かない。登場人物の心の中を直接見ることができないため、心理面に触れたいときは表情や動作を外側から観察するよう書くにとどまる。また、中立的立場を維持するため文章様式として内心の直接描写を避けている。常に語り手の目線から客観表現のみで書く。地の文に誰かの心の声は一切入らない。

難易度:★★★★☆
多くの場合、小説を読む際は誰かの思考や感情に寄り添うことに慣れているため、主観表現を使わないで書くのはかなり難しい。

注意点:完全に客観で書いているはずが、つい登場人物の誰かの心情を書いてしまう、といったことが起きがち。全文を完全客観で書くには鍛錬が必要。また、内面を直接書けないため感情移入を促すような文章表現や物語構成ができず、共感を呼ぶストーリーに仕上げることも難しい。

◆三人称中立視点のまとめ◆

昔話や神話などに多い書き方です。感情より行動に焦点を当てた行動小説とも言えます。
近年の日本のエンタメ小説は、物語の登場人物である誰かの視点で描かれるものが多いため、この人称視点の作品はさほど多くはないはず。しかしファンタジックな作品やおとぎ話風の話ではかえって味になることもあり得ます。
三人称の基本は客観的な文章なので、基礎としてこれを書けると主観と客観の書き分けの上達に繋がるかもしれません。
場合によっては「三人称多視点」と呼ばれたりします。呼び名は色々でも内容は同じです。


◼️「三人称多元視点(神視点)」


人称:対象人物の名前や呼称。

語り手:登場人物とは別にいる第三者。任意の登場人物の視点に切り替えて、当人の状況や心情を語る。

視点主:起点となるのは物語の外にいる語り手自身だが、物語中の人物にもなり得る。物語中の一場面において、自由自在にその場の様々な人物に入れ替わる。多元の視点。

カメラの位置:かなり上方、全体を見下ろす位置にある。視点主を誰にしようがカメラ位置(目線)は常に俯瞰位置に固定されるべき。もし登場人物の目線まで寄ってしまうと三人称一元視点となってしまう。

認知レベル:登場人物たちが知り得ない情報まで知り得る。各人物の心理も隠し持った事情も完全に認知している上、時間軸においても過去未来まですべてを知り得る。まさに全知の神の視点。作者の視点とも言える。

文の特徴:視点軸を自由なタイミングで任意の人物に移せる。視点が登場人物のみならず、すべてを見下ろす語り手にもあるため、登場人物たちが知り得ない物語中のあらゆる事象を書き込める。各登場人物の外面も内面も縦横無尽に覗いて捉え、語り手による客観的な語り口で地の文に書き表していく。
説明や描写は客観目線で語られ、心の声が直接入る場合も外側から覗きこむような形に収める。心の声のみ括弧で囲む工夫をするケースもある。
地の文にて語り手自身の主観(推測や感想が混じった表現)は一切書かない。つまり神本人の心の中は書けない。書けるとする意見が存在するとしても、混乱を招かず書くのは至難の業なので避けるのが無難。

向いているジャンル:国の興亡などを描く壮大な歴史もの、設定の説明が多くなるファンタジー小説、状況が入り組んだ推理小説など。ただし完璧に成功している作品は多くないかもしれない。現代小説では視点主を絞って書く手法が好まれるため意図的に避けられる書き方でもある。

難易度:★★★★★
最高度に難しい。

注意点:多々存在する。熟達した書き手であっても難しい書き方。初心者が知らずに手を出すことが多いが(アニメや漫画などが神視点であるため、それを小説で再現しようと安易に考えて書き始めるケースが非常に多い)、途中で一人称になってしまう、視点が乱立してしまうなどして駄作ができあがる場合がほとんど。公募の一次選考では即弾かれるという噂もある。

《神視点の難しさ》

①カメラ位置の固定が難しい。
視点主を自由に切り替えられるため、視点が移る際に目線まで当人に寄ってしまう場合が多い。つまり一人物の主観で語るような表現になりがち。

例)花子に説得を試みたが一向に埒があかず、渋い顔をしたまま太郎はその場を去った。すると一部始終を見ていた次郎がこちらへ迫るように走ってきて、彼女が納得しない本当の理由を説明してくれた。まさかそんなことを気にしていたとは、と太郎は意外な理由に驚いて頬を緩めた。

一番前の文は太郎について俯瞰した位置から語っている。次の文は「一部始終を見ていた次郎」までは神目線だが、続けて「こちらへ迫るように」「してくれた」と太郎目線からしかし得ない表現を使っている。このように書くと神視点の中に三人称一元視点が入り込んでしまう。最後の文はまた神目線に戻っている。

②語り手の統一が難しい。
視点の自由度の高さから、本来あり得ない語り手が登場したり、不思議な視点主が入り込んだり、視点が乱立してしまう可能性が高い。
例えば壮大な歴史小説やファンタジー小説などの場合、主たる語り手以外に作中の歴史を主観で批評してしまう視点が存在したり、カメラが上空から人物へフォーカスしていくような表現(つまりカメラの視点)が入り込んだり、と混乱が起きるケースがある。

③構造上、謎を残すのが難しい。
視点主の相手側に位置する人物の心情や、裏事情も読者にすべて見えてしまうため、展開が読めてしまい面白さが消失する。昔の小説はこのように書かれるのが通常で、この興醒めが起きる構造を回避するため、近年、視点の考え方が生まれた。したがって「神視点」という呼び名には『展開が分かり過ぎてつまらない』という揶揄も込められている。

……このように、目線のブレを起こさず、視点主を常に統一し、かつ謎を残したままあらゆることを表現するには、書き手がよほど秀でたバランス感覚を持っていないと難しい。

◆三人称多元視点のまとめ◆

「中立視点(完全客観視点)」と「多元視点(神視点)」をまとめて「神視点」という人もいます。ここでは登場人物の心情をどれほど書けるかの迷いをなくすため明確に区別しています。先にも書いたとおり、小説初心者が神視点を選択して書き、自分では過ちを起こしていることに気づいていないケースが実に多く見られます。日頃小説より映像作品に親しんでいる方は、神視点が三人称の通常の書き方という誤った認識を持っている場合が多いようです。




分類は以上になります。いかがでしたか。実際の分類としては、この他に「二人称」も存在します。ただしこれは、「あなた」「お前」といった言葉を用いる特徴的な手法であり、小説の人称視点としては珍しく難易度も高いためここでは取り上げません。

書きやすい人称視点は?



さて、初心者が手頃に選択できるものはどれでしょう。それはもっぱら一視点で書くスタイル、「一人称」と「三人称一元視点」だと言えます。
なぜなら、現代のエンタメ小説のスタイル自体が、誰かの感情を綿密に書き表わすことで読者の共感を呼ぶ、言い換えると主人公に感情移入してもらう形になっており、『小説とはそのようなもの』という感覚をほとんどの方が持っているからです。つまり心情を詳細に書く一視点の小説というわけです。

「三人称中立視点」のように内面を書かなくても成り立つ小説も存在しますが、例えば恋愛小説なら尚更そのような地の文は寂しい、物足りないと感じてしまうでしょう。また「三人称多元視点(神視点)」は、混乱を招かず書くには高度な技術が必要になるため、正直おすすめできません。

その点「一人称」は、制約による不自由さがあるものの書く上での縛りが理解しやすく、日記をつけたり、学校で感想文を書かされたりと、多くの人が日常的に触れてきた人称視点なので扱いやすいはずです。

そして「三人称一元視点」は、先にも書きましたが、主観表現に寄って書くとき、カメラが視点主の身体かやや後方にくっつき一人称に限りなく似た状態であるため、人物の目を通した風景や出来事に加え心の声も書いてしまえます。その上で視点主から距離を取った三人称らしい客観的な言い回しを入れる余地もあるため、長い説明調の文なども馴染ませることが可能です。
とはいえ、以下のことを知っておくのは肝心です。
それはこの視点が、カメラの位置により主観から客観まで幅の大きい書き方であるということ。心の声も少なめ多めなど、個性の違いも大きくなるということです。この『かなりの幅の広さ』がネックになるかもしれません。(これについては人称視点の解説を見てもほとんどの場合触れられておらず、かなり悩ましい部分です。)

地の文のほとんどを視点主の主観に寄って書いていくなら、一人称に書き方が酷似するため書きやすいです。しかし目線を引いた客観表現や全体を俯瞰するような説明を多く書き込みたいときには注意が必要です。いかにも三人称らしい冷静な表現をする際、ともすると視点が登場人物から離れて、語り手自身の視点(人物から完全に離れた客観視点)となってしまうケースが生じます。


例)太郎にとって、花子は生涯忘れられない人であった。片想いと分かっていても恋しくてたまらなかった。もう一度会えたらいいと何度も願っていた。それでも二人はあの日以来、互いを想いあっていながら一度も顔を合わすことが叶わなかったのである。


最後の一文を見てください。三人称らしく丁寧な言い回しで書いているうち、視点が太郎を離れてしまい、「二人は」と場を俯瞰した完全客観視点のようになったり、片想いのはずなのに「互いを想いあっていながら」と花子の心情まで知っている神視点のようになっています。このように、客観表現を書き込むとき(目線を人物から離して書くとき)、視点のブレを起こしてしまわないよう、書きなれない方は注意が必要です。

つまり、突き詰めて言えば、初心者にとって書きやすい人称視点は「一人称」と「三人称一元視点」の主観に寄って書く場合、だと言えるのです。


次に、より詳しく各視点の書き方、特徴へと迫っていきます。以下に、各人称視点の例文を添えてみました。一語一句このように書き分けるべきという意味ではなく、分かりやすいようあえて表現に違いをつけています。それぞれの書き方の特徴を捉えて参考にしてみてください。「三人称一元視点」のみ二つに分けて書いています。

人称・視点ごとの例文

登場人物……太郎、次郎、花子


◼️一人称


 ようやく開き直ったのか、次郎はこの件に関わる事情を細大漏らさず俺に教えてくれた。
「──と、いうわけなんだ」
 ……そうだったのか。やっとわかった。
 すべてに納得がいき、俺は静かにうなずいた。丁寧に礼を言ってから部屋を出ると、とたんに胸が騒ぎ立つ。
 早く花子に会いたい。会って謝りたい。ああ、早く! 
 俺はとにかく急いで、彼女の部屋へと向かった。
 部屋に着くと、勢いあまって扉を強く叩いてしまった。すぐに花子が顔を出して、息を切らした俺を心配顔で迎えてくれた。

●人物の感情の強さがよく伝わり、臨場感が出ます。「〜教えてくれた」というように、あくまでも視点主の主観で語ることができます。(日本語特有の「くれた、もらった」などの『施し、施される』という個人的な価値観、主観的表現を使えるという意味です。実際には多用しないよう注意が必要です。)
●カメラが語り手自身に位置しているので、目線が常に人物に固定されブレが起きづらいです。


*** *** *** *** *** ***

次の「三人称一元視点」のみ主観表現と客観表現の違いがわかるよう別々に取り上げています。(主観寄り)はほぼ一人称に近く、(客観寄り)は完全客観視点や神視点に言い回しが近くなっています。この境目は実際はグラデーションであるため、不自然にならない程度でこれらのバランスをとりながら書きます。
※この区分けは、私なりのロジックであり、世間的にはこのように分けて呼ぶことはありません。

*** *** *** *** *** ***


◼️三人称一元視点(主観寄り)



 ようやく開き直ったのか、次郎はこの件に関わる事情を細大漏らさず教えてくれた。
「──と、いうわけなんだ」
 ……そうだったのか。やっとわかった。
 すべてに納得がいき、太郎は静かにうなずいた。丁寧に礼を言ってから部屋を出ると、とたんに胸が騒ぎ立つ。
 早く花子に会いたい。会って謝りたい。ああ、早く! 
 そう思いながら太郎は、急いで彼女の部屋へと向かった。
 部屋に着くと、勢いあまって扉を強く叩いてしまった。すぐに花子が顔を出し、息を切らした太郎を心配げな表情で迎えた。

●人称が変化しただけで一人称とほぼ同じですが、「俺は」の部分を「そう思いながら太郎は」と一人称よりは若干客観的な説明調にしてみました。「太郎」の部分を「俺」に換えても違和感なく読めます。
●カメラが太郎の身体にほど近い場所にあるので、目線は常に当人に寄っておりブレが起きづらいです。


◼️三人称一元視点(客観寄り)



 まるで開き直ったような態度で、次郎はこの件に関わる事情を細大漏らさず太郎に語った。
「──と、いうわけなんだ」
 次郎が言い終えると、ひどく納得した表情を見せて太郎は静かにうなずいた。
 丁寧に礼を言ってから部屋を出る。すると太郎の胸の内に、早く花子に会って謝りたい、という思いがみるみる湧き起こるのだった。ああ早く、とそればかりを思いながら、太郎は急ぎ足で花子の部屋へと向かった。
 部屋に着くと、太郎は呼吸を落ち着ける間も置かず、強く扉を叩いた。すぐに花子が顔を出して、息を切らした太郎を心配げな表情で迎えた。

●「〜教えてくれた」の部分が「〜語った」とフラットな表現に。全体的に場を俯瞰しているような冷静な表現になっています。
●カメラが太郎から離れた位置にあるので客観的表現が際立っていますが、あくまでも視点は太郎です。視点がブレていないかの目安として人称を「俺」に換えてみた場合、表現的にはぎりぎりの自然さになるかもしれません。ただし論理(文脈上の意味合い)は破綻しません。例えば、「ひどく納得した表情を見せて」の部分に「俺は」と続けた場合、自分を外側から見ているように感じてしまいます。ですが自分が意識的にそうしたという意味で解釈する余地もあります。また「思いがみるみる湧き起こるのだった」の部分は「俺」に換えると当人の目線から離れた表現なのでやや不自然になります。しかし当人が自分のことを客観的に表現したと受け取る余地はあるかもしれません。もしこの辺が、どう捉えても明らかに不自然だったり論理的にも違和感が生じる場合は、視点のブレが起きています。


◼️三人称中立視点(完全客観視点)



 まるで開き直ったような態度で、次郎はこの件に関わる事情を細大漏らさず太郎に語っていった。
「──と、いうわけなんだ」
 次郎が言い終えると、ひどく納得した表情を見せて太郎は静かにうなずいた。丁寧に次郎に礼を言ってから部屋を出る。すると太郎は、何かを強く決意したような顔になり、急ぎ足で花子の部屋へと向かった。
 部屋に着くと、呼吸を落ち着ける間も置かず強く扉を叩いた。すぐに顔を出した花子が、息を切らした太郎を心配げな表情で迎えるのだった。

●心情や推測を直接書かず、あくまでも外側から見た状態に留めて書いています。例えば「早く花子に会って謝りたい」という心情について「何かを強く決意したような顔になり」のみで表しています。内面を書かないので行動に焦点が当てられています。「〜くれた」など、一人物の主観による表現も用いません。
●カメラは常に俯瞰位置にあります。誰の目線にも寄りません。


◼️三人称多元視点(神視点)



(もはや黙っていても仕方ない)
 開き直った次郎は、この件に関わる事情を太郎に教えることにした。次郎の口が、ことの真相を細大漏らさず語り始める。
「──と、いうわけなんだ」
(そうだったのか。やっとわかった)
 すべてを知った太郎は静かにうなずいた。
 彼はこのとき、初めて心から納得し、あらゆることが腑に落ちたのだった。丁寧に次郎に礼を言ってから部屋を出る。するととたんに、一刻も早く花子に会いたい、会って謝りたい、と、いてもたってもいられない思いが湧き起こり、彼は急ぎ足で花子の部屋へと向かっていった。
 その頃、太郎のことを心配していた花子は、自分の部屋でひたすら息をひそめて待っていた。そこへ誰かが部屋の扉を強く叩いた。太郎だ、と思い当たった花子がすぐさま扉を開けると、そこには息を切らした落ち着きのない様子の太郎の姿があった。

●太郎のみならず次郎の思考や感情、花子の様子や心情までも書いています。かつ、全体の事情を把握した語り手視点による客観的説明も加えています。モノローグとその他の文の区切りがつきやすいように丸括弧をつけた例です。
●誰かの視点で書くとしてもカメラは常に俯瞰位置にありますので、目線まで当人に寄ることはしません。目線は常に語り手の元にあります。

全体まとめ

いかがでしょうか。まったく同じ場面の描写でも、印象がそれぞれ違いますね。
以上、私なりにまとめた人称・視点の分類とルール+例文でした。

視点のブレを起こさないためには、

・語り手と視点主との関係。
・カメラ(目線)の位置を意識すること。
・主観表現と客観表現があること。

こういった要素をしっかり把握しておくことが重要だとお分かりいただけたと思います。
世間には人称視点の分類や解説文がたくさん存在していますが、厳密に分析されたものはそれほどないはずです。痒いところに手が届くものになっていたら幸いです。先にも書いたようにプロ作家に有償で校閲をしていただきましたので、ぜひ参考になさってください。

最後に、おさらいとして少し別の観点から、まとめてみましょう。

①「語り手」が物語の主たる「登場人物」であり「視点主」でもあるのが一人称。完全にその登場人物の目線による「主観」で語る。

②「語り手」が物語の登場人物ではない「第三者」であり、「視点主」が物語の主たる登場人物であるのが三人称一元視点
「視点主」である登場人物の目線による「主観」で書き、場合によって登場人物ではない語り手の目線から場を俯瞰したように「客観」表現で書くこともある。視点が一人物に固定される点で一人称と共通。

③「語り手」が物語の登場人物ではない「第三者」であり、この第三者が「視点主」である。全ての登場人物を公平に扱い、どの登場人物の「主観」もまじえず、終始登場人物ではない語り手の目線による場を俯瞰した「客観」表現で書くのが三人称中立視点(完全客観視点)

④「語り手」が物語の登場人物ではない「第三者」であり、「視点」を語り手以外にも色々な登場人物に切り替え、その人物の状況や心情を登場人物ではない語り手の目線による「客観」表現で書くのが三人称多元視点(神視点)



少しでもお役に立てましたら幸いです。 
読んでくださってありがとうございました。

※今後イラスト図解を追加できるかもしれません。


水那田ねこ
初稿 2023年1月5日
改訂 2023年03月25日


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