すきなたべもの、の記憶

幼稚園に通っていた頃、お誕生日が来ると、小さな絵本を作ってもらえた。

手形を押すページがあったり、将来の夢を幼稚園の先生に訊かれて、先生が書いてくれたりして、それをお誕生日会でもらって持ち帰る。


そのなかに、「すきなたべもの」というページがあり、4歳の終わりかけであったであろう私は、意気揚々と《おみそしる》と答えた。

ケーキのようなお菓子でもなく、お子さまランチを構成するようなおかずでもなく、お味噌汁。

(もちろん、ケーキもハンバーグもカレーも好きな子どもだった)

幼稚園の先生も、持ち帰った絵本を見た親も、その地味さにびっくりしていた記憶があるけれど、当時の私は大真面目だった。


おみそしるの記憶。

父方の実家のあった熊本県の南の方で、当時健在だった祖母は、毎朝必ず干し椎茸を戻し、お豆腐を賽の目にして、日奈久の麦味噌を溶いたお味噌汁を作っていた。

私たちの家族が帰省すると、そのお味噌汁のほかに、白いごはんや高菜漬け、前の日の残りのおかず、祖父がほぼ唯一食べた野菜のトマトなんかも並んで、朝ごはんだった。

干し椎茸とお豆腐と日奈久のお味噌の組み合わせは、子どもながらに絶品だと確信する美味しさだった。


なぜあんなにも美味しかったのだろう…

後年、もう少し大きくなってから、祖母と一緒に近所の乾物屋さんに買い物に行き、祖母が有明産の青海苔を選りすぐっていたことがあったので、干し椎茸もそうやって祖母が選んだ良いものだったのかもしれない。

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ここ数年、手前味噌を仕込んでいるけれど、干し椎茸とお豆腐でお味噌汁を作ってみても、子どもの頃の感動には届かない。

(一番は、お味噌が違うからなのかもしれない)


それでも、やっぱりお味噌汁って美味しいな、と思う。

土井善晴さんが、お味噌汁をより自由に解放して下さって、タブーなく、その日冷蔵庫にあるものを自由に具材に出来るようになった気もする。

お味噌汁すら作りたくないと思う日もあるけれど、お味噌汁を飲むと、「ああ、わたしはやっぱりお味噌汁が好きだ」と思う。

三つ子の魂百まで、みたいな、すきなたべものの記憶。

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