トンガ噴火に伴う”津波”からどう逃げるか、友人へのアドバイスを振り返って
トンガの噴火による津波のような潮位変化。その時、私はある知人にとにかくアドバイスを送っていた。振り返って備忘録として書いておこうと思う。
1月16日の0時15分過ぎ、トンガでの噴火によるとみられる津波で、津波警報と注意報が太平洋沿岸を中心に発令された。(↓これは過去の記事です)
警報の通知がきたけど、私は安全な場所にいたこともあるし、その数日前に購入したSwitchゲームをしていて、正直そこまで危機感がなかった(酔っていたのもあって。)
16日0:50ごろ、ゲームを終えると、親しい友人から「九十九里に宿泊しにきているが、どうしたらいいか」というLINEが来ていることに気づいた。
該当エリアには、津波注意報が出ていた。津波注意報というのは、20㎝以上1m以下の津波が予想されるときに発令されるものだ。ちなみに警報は、1m〜3mの津波が予想される時に発令される。
(遅いけど)その時点からいろいろ調べると、今回の津波は地震とも違うし、もともと19時ごろに「多少の潮位の変動がある」としていた気象庁の発表とも異なって急に発表された情報だったこともあって、何か通常とは違うんだろうな、と感じた。
彼がいる場所の住所を教えてもらった。思った以上に海の目の前にいるようだ。ハザードマップを見ると、千葉県沖で地震が起きた場合、5mの津波の時の浸水範囲には入っていて、3mの時の浸水範囲から外れていた。ただ、海からは数百メートルしか離れていなくて、近くに津波避難ビルがある。津波避難ビルがあるということは、ざっくり言うと、周りに高台がないことを意味している。これは、東日本大震災以後に東北沿岸部の取材をしていて知ったことだ。実際、彼がいるところも平屋で、垂直避難は難しそうだった。
その状況を彼に伝え、津波避難ビルへの避難を勧めた。ただ、深夜だし、一緒に逃げるには、子どももペットもいることもわかっていたので、できる範囲のことをやるのがいいと伝えた。それでも、私としては意外というか、こういうことってあるんだなーと思ったやりとりがある。
一瞬、「何を言っているんだ?」と正直思った。遠くにいる私からは、貴重品だけ持って、としか言えなかった。地震や津波、火事の時、ひいては飛行機事故の時でさえ、物を取りに戻って亡くなったり、逃げ遅れてしまったケースは山のようにある。こういう時には、「最低限のもの」と思うけど、いざその状況になったら、そんなどころではないのかもしれない。
その間に彼は、宿泊している施設のフロントと連絡を取っていた。一緒にいる家族が心配している様子もふまえ、近くの避難ビルへの避難ではなく、自宅へ戻ることを決めていた。その最終決定は、遠くにいる私がいくら言っても難しくて、やっぱり現場にいる本人にしかできない。そこはもどかしいけど、仕方ない。判断を下すことはとても難しかったと思うけど、賢明だったと思う。
この時点で1:30過ぎ。当時、大洗や勝浦で津波が観測されていて、潮位が上がっていた。後から知るのだが、津波の観測地点というのは意外と多くない。九十九里浜にはないし、例えば湘南地域には、三浦から小田原までない。別の鎌倉の知人が、「1番近い観測所がわからない」と言っていたが、確かにそういう知識は必要なのかもしれない。
自宅へ戻ろうとする彼の話に戻る。私からできることは、Google mapを見ながら避難経路を伝えた。現場は暗いし、どんな場所か私も行ったことがないので正直わからない。それでも、川沿いを避けて、とにかく内陸へ行くことを伝えた。でも、意外と津波を避ける方針は伝わらないかも、と思って、目指す場所を具体的に伝えた。
本当は、車で避難することは推奨されない良くないということはわかっている。避難者で渋滞して進まず、逃げ遅れた人がいた災害のこともよぎった。それでも、子供やペットがいて、土地のこともよくわからない旅行先。昔から、ペット連れや旅行者の避難の課題は言われていたけど、私も身に染みて今回感じた。
避難をはじめて、ちょっと落ち着いた2:00ごろ。気象庁の会見が行われた。実はこの会見、当初の予定より20分遅れた。会見予定時刻を遅らせる、というのはあまり聞いたことがなかった。
ふだんは、会見はあんまり詳しく見ないのだが、正直今回は引き込まれた。この会見のことを一番端的にまとめてたのが、Livedoorのニュースだった。これが一番わかりやすかった。
始まる前から開始予定時刻が延びる会見、「津波と言っていいかわからない」「津波の仕組みを特別に使った」などといった言葉から、とにかくこれまでの想定されていなかったことが起きていることがよくわかる、興味深い会見だった。とにかく何が起こるかわからない、そういう気分でうとうとした。
結果、このあと岩手県では、注意報が警報になったり、長崎県西方でも注意報が発令された。実際には観測されてからの発令になるところもあり、予測できないことだったのだろう、と改めて感じる。
翌日朝起きて、大きな人的被害はなかったようだと知る。それでも、国内では日が経つにつれて、漁業への影響なども出てきている。
もちろん、トンガでの噴火の影響はいまだ計り知れない。少しずつ現地の様子が入るようになってきて、大変な状況であることが、日に日にわかっている。とにかく少しでもトンガの影響が少ないこと、そしてそこからの復興を願うしかない。
そして私たち。今回は、身近な大切な人に、「逃げて」と伝えることになって、実際に逃げてもらうことができた。結果的に、彼らがいたところに波が来ることはなかったかもしれないけど、それでも「逃げたことが良かった」と思ってもらえたなら何よりだ。
ここまで、私が連絡を取り合ってきた九十九里にいた「彼」から見たその日の様子がこちら。連絡を取り合ってたけど知らないこともたくさんある。そして、現場で一番悩んで、決断を下した彼の振り返りも、併せて読んでもらいたい。
そして最後に。知人がこんなことをツイートしていて、激しく同意したので、最後に残しておきたい。