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中島敦「狐憑」(こひょう)を国語の授業風に読む #3 精読 展開部前半

このシリーズでは、国語の授業のように丁寧に作品を読み深めながら、1人で読書しただけでは気づかない作品の良さを知ることを目指しています。授業風ということもあり、長さは適量でカットし、深めたい人は参考文献を見てさらに深めてほしいという形をとりますので、物足りなさを感じたらぜひ参考文献類も確認してみてください。この記事は#3ですので、最初から読みたいという方は#1からご覧ください。
 今回も精読ということで、範読で捉えた全体像を意識しながら細部の表現や仕掛けを読み解いていきます。展開部以降では主に、登場人物に関する新しい情報、事件の展開、文体や表現の成立に関する部分を丁寧に読み解くと見えてくることが多いです。ということで、それぞれの観点で考察をしていきましょう。例を示すので、例に従って少し丁寧に展開部の前半(第4段落~第7段落)を読んでいきましょう。

第4段落
[人物]
シャクが変になり始めたのは、去年の春、弟のデックが死んで以来のことである。
①主人公のシャクには弟がいる。
②「デック」、英語のdeckあるいはロシア語のдик(英語でdik)。ロシア語であれば「シャク」同様に現代でも使うありふれた人名。
③拗音と促音、表記的に三文字と類似性も感じさせ、兄弟であることを強調?
④(どちらもありふれているということならば)弟も平凡な人物であり、一層主人公のシャクの平凡さを導入部から引き続き強調している。

(補足)展開部に入り、事件が起きるきっかけとして副主人公・ライバルのような人物が登場することが多い。見た目上、登場が変わることで物語の進展が明示的になり、読者にとってストーリー展開がわかりやすいものとなる。例えば、志賀直哉『暗夜行路』の序盤部分にある「屋根事件」における主人公の謙作と母はまさに主人公と副主人公のように機能している。ただし、事件の核心が主人公自身の心理的葛藤である場合も副主人公は登場する。太宰治『走れメロス』や芥川龍之介『トロッコ』のようにメロスと王、良平と若い二人の男といった形で明白に主人公と副主人公は登場するが、物語の核心にどちらも大した影響を与えていない。しかしながら、副主人公がいなければメロスは信実には気づかなかったし、良平は恐怖と成長の体験を得ることはなかった。副主人公の登場により、一層主人公の特性や特徴が際立つこともあり、登場人物に関する情報は物語の展開を読み解く上で、重要になってくる。

[事件]
シャクが変になり始めたのは、去年の春、弟のデックが死んで以来のことである。
①事件のきっかけは弟の死。
②弟の死により、シャクに憑きものがした。

(補足)事件の展開は、物語の中心のストーリーを丁寧に追っていく観点。「狐憑」で言えば、タイトルからもわかるように憑きものが物語の中心になるので、シャクにした憑きものに関する記述はしっかり押さえていきたいところ。

[文体]
頭と右手だけは、侵略者が斬り取って持って帰ってしまった。頭蓋骨は、その外側を鍍金して髑髏杯を作るため、右手は、爪をつけたまま皮を剝いで手袋とするためである。
①(導入部から引き続き)スキタイ人の風習について詳細に書かれている。
②この記述も『歴史』(4-64)に基づいたものであり、継続して『歴史』を参照している。
(補足)展開部に入り、事件が起きることで文体が描写的になり、様々な表現技法が使用される。実際、典拠がある作品でも、芥川龍之介「舞踏会」のように元の作品である『秋の日本』にはない表現技法を多用し、ストーリーも小説になるように大きく脚色している。展開部以降は作者の描写の独自性がで始めるので、文体や表現には注意したいところ。

以上が例になります。これらの例を参照しながら課題に取り組んでみましょう。

課題:以降のそれぞれの箇所について、自分なりに考察をしてみましょう。その上で、解説を読み、展開部前半について理解を深めてみてください。ヒントとして主に読んでほしい観点を示していますが、思いつかなかった時のための参考なので無理に意識しないことが大事です。

第4段落
[人物][文体]
シャクはしばらくぼうっとしたままその惨めな姿を眺めていた。その様子が、どうも、弟の死を悼んでいるのとはどこか違うように見えた、と、後でそう言っていた者がある。

第5段落
[人物]([文体])
その後間もなくシャクは妙な譫言をいうようになった。何がこの男にのり移って奇怪な言葉を吐かせるのか、初め近所の人にはわからなかった。

[人物][事件]
四、五日すると、シャクはまた別の霊の言葉を語り出した。今度は、それが何の霊であるか、すぐにわかった。

第6段落
[人物][事件][文体]
さて、それまでは、彼の最も親しい肉親、及びその右手のこととて、彼にのり移るのも不思議はなかったが、その後一時平静に返ったシャクが再び讒言を吐き始めた時、人々は驚いた。

第7段落

[人物][文体]
今までにも憑きもののした男や女はあったが、こんなに種々雑多なものが一人の人間にのり移ったためしはない。

以下、解説。

第4段落

[人物][文体]
シャクはしばらくぼうっとしたままその惨めな姿を眺めていた。その様子が、どうも、弟の死を悼んでいるのとはどこか違うように見えた、と、後でそう言っていた者がある。

①一見すると、弟の死に悲しみ、茫然自失の兄。
②実際は、異なる状態にある。
→憑きものがした。
③「後で」事件が全て終わった後の評価。
→当時は茫然自失と思われていた。
→ありふれた人物である以上は、ありふれた反応をするはずと思われていた。
④「そう言っていた者がある」という視点で語れる語り手。
→憑きものをしたと評価した人よりも後、より客観的な視点の文体。

第5段落
[人物]([文体])
その後間もなくシャクは妙な譫言をいうようになった。何がこの男にのり移って奇怪な言葉を吐かせるのか、初め近所の人にはわからなかった。

①憑きものがした者らしい行動。
②「何が」と言っているように、憑きものがしたこと自体は不思議ではなく、何が憑いたかが周りの人の関心事だった。
→改めて、憑きもの自体は珍しいことではないということを強調。
→導入部の内容を繰り返し、強調する語り手。
③「蛮人に斬り取られた彼の弟デックの右手」と周りの人は話す内容から断定する。
→「皮を剝がれた」「野獣」ということから、言葉にならないような発言をして、「皮を剝がれた」ことを強調した? 
→デック本人という人が語っていないと判断された。
→「右手」という体の一部のみが憑くことがある。
→語り手はスキュタイ人の野蛮さを強調したところもあるが、ここでは論理的な判断を下している。

[人物][事件]
四、五日すると、シャクはまた別の霊の言葉を語り出した。今度は、それが何の霊であるか、すぐにわかった。

①デックの右手ではないものが憑いた。
②今回はすぐに正体がわかった。
→今回も語る内容から判断された。
→今回はデック自身が憑いた。
③数日すると憑きものが変わるというストーリー展開。


第6段落
[人物][事件][文体]
さて、それまでは、彼の最も親しい肉親、及びその右手のこととて、彼にのり移るのも不思議はなかったが、その後一時平静に返ったシャクが再び讒言を吐き始めた時、人々は驚いた。

①「さて」話題転換。→事件の進展?
②「それまでは〜不思議はなかった」という言葉よりこれまでの事件はありふれた出来事の延長。
→やはり平凡さが評価の基本にある。
③別の憑きものがする前には平静さを取り戻すことがある。
④憑きものがしても驚かなかったが、今回は「人々は驚いた」。
→シャクとは関係のない動物や人間の言葉を話したから。
→本人と関係や繋がりがあるものが憑きものになる。
→シャクの特異性が出始まる。(事件の進展)

第7段落
[人物][文体]
今までにも憑きもののした男や女はあったが、こんなに種々雑多なものが一人の人間にのり移ったためしはない。

①「男や女」から性別によって憑きものの様子に違いはない。
→ここでも客観的な判断をしており、論理的な判断をするスキュタイ人の姿も描いている。
②「こんなに種々雑多なものが一人の人間にのり移ったためしはない」と、シャクの特異性が改めて明言される。
→強調したい内容を繰り返す文体がここでも。
③具体例は第7段落の後半に書かれている。
→抽象から具体という論理的な文章構成をなしている語り手。例も次第に描写が細かくなり、具体性が次第に増している。
④鯉、鱗族たち、トオラス山の隼、草原の雌狼の語り。


ということで、前半はここまでです。
次回までの課題として1つだけ出しておくので、今日読み取った内容を整理してみましょう。
課題:展開部前半の内容を[人物]、[事件]、[文体]の3つの観点からそれぞれまとめてみましょう。

では、本日もお疲れ様でした。次回はいよいよ折り返しです。後は展開部後半、山場の部、終結部、味読の4回なので、引き続き丁寧にゆっくり作品を読んでいきましょう。なお、少し次回の更新は早く8月4日(水)の予定です。

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