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very goodな自分でいること

レッスン始めの問いかけ

レッスンの始め、私はいつも生徒さんにその時の調子を尋ねます。
何かしら不調を抱えている方もいれば、尋ねられたことで初めて自分の調子に意識を向ける方もいます。
身体でも心でもいい、なんとなくでもいいから自分の今の感覚に素直になっってもらうためにも自分自身への大切な問いの時間です。

腰が痛いとか肩が凝ってるとか、めまいがするとか耳鳴りがするとかなんともないです、とかぼちぼちですとかその時々で様々。
もちろん、私は治療家ではないので治すことはできないけれど、ほんの少しでも楽になるかもしれないアプローチをレッスンの中に入れてみたり、生活の中で取り入れることができることをアドバイスしたりもします。


サントーシャ:足るを知る

先日のレッスンでもお一人ずつ聞いていくと、みなさんが順番に気になることや、まあまあですと答えてくださる中で、最後の方が穏やかな笑顔で
「Very Goodです」と答えられました。

その生徒さんは脳出血を経験されていて、その影響で動きに少しぎこちなさが出ています。(ご本人の了承を得た上で書いています)
一見すると、レッスンの中での動きも他の方と比べてポーズも取りづらく、あえて形だけの完成形を見て、できる・できないと捉えるなら”できない”ように見えます。

ただ難しい動きがあっても、どれも丁寧に取り組んで終わったときは笑顔で帰られます。

私も含めて、多くの人が苦手なポーズに取り組むとき、自分の動かしにくい場所と向き合う時、ここの硬さがなかったらとかここの筋肉がうまく使えたらとか”もっと、もっと”と求めがちです。

その生徒さんの穏やかな笑顔とvery goodの言葉は、決して強がりでも頑張ってポジティブでもなく、ヨガでいうサントーシャ(知足)そのものであることはその場にいた皆さんにも自然と伝わってきました。

思わず私もその場にいた皆さんも「素晴らしい!」と反応。


健康とは?自由とは?

ポーズを取らなくても、もっと健康でありたい、もっと柔軟でありたい、硬いことはいけないこと、と今ある体に何か不足を感じたり、ダメ出しをしてしまいがちです。

その生徒さんの答えが気づかせてくれたことは、私たちは誰しもが今ここに呼吸をして今日があること、それだけですでに十分にVery goodだということ。

健康とは、身体だけのものではなく、心も含めて全て丸ごとの自分そのものが生き生きとしていることであり、体だけの健康に執着しても誰しもやがて老いがきて、できないことが増えていきます。
体が思う通りに動かないことが不自由なのか、というとそうではなく、できないことがある中でできることを楽しめることでいつだって人は自由でいられるのです。

呼吸してる、もうそれだけで十分

どんな人でもいろんな状態の日があります。
いつでもvery goodでいたいけどそうでない日もあります。
今日の調子はどうですか?という問いに、無理して前向きに答える必要はなく、いつだって自分の感覚に正直に答えてください。
ただ、どこかが痛い時も不調の時も今日こうして息をしている、今ここに自分がある、そのことがもう十分控えめに言っても最高だっていうことが大前提なのです。
ダメ出ししないで、呼吸して生きてる自分を誇りに思ってあげてください。
不自由を感じることに対して、これがなかったら、あれがあったらという条件探しをするのではなく、自由でいられる選択はいつだって自分の中にあるのです。

普段、レッスンでは日常を心地よくするカラダづくりをお伝えしています。
それは変わらず大切なこと。
ですが、ヨガの豊かさはもっともっと奥深く、それは私がカラダを通してヨガとしてお伝えしていきたい部分です。
それを生徒さんから教えていただいたそんな出来事でした。



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