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【短編】偶然の交わるところ

普段レイトショーを好んで観に行く俺が、めずらしく昼間に映画を観た日。
いい映画だったなぁ、と反芻しながら歩いて家に向かう途中、神社の境内でふと目が留まった。
30代から40代くらいの女の人。その手に黒い何かが舞い降りた。
なんだろう?と思いながら見ていると、その女の人はゆっくりスマホを取り出していた。
写真でも撮っているのかな?と思った矢先、その黒い何かが彼女の手から飛び立っていった。
黒い何かを見送っている彼女の背中から何かが滲み出ているような気がして、思わず声をかけてしまった。

「ねぇねぇ、お姉さん。何を撮っていたの?」

振り向くなり、満面の笑みを浮かべた彼女はこう言った。

「ハグロトンボです」
「ハグロトンボ?」

聞いたことがない名前のトンボで、姿もイメージできない俺に、さっき撮った写真を見せてくれた。
指に留まった全身真っ黒のトンボがそこにいた。

「へぇ、初めて見た。お姉さん、トンボに詳しいの?」
「いえ、全然。知ってるのは、赤とんぼ、シオカラトンボ、オニヤンマくらい」
「え、でも今…」
「あ、これは、数か月前に友達が教えてくれたんです」

関東ではあまり見られない、ハグロトンボを見かけたその友達が写真を送ってくれたんだそう。

「珍しいトンボだからきっといいことあるよ、って。お福分けしてもらったの」

少しはにかんだように話す彼女の言葉が続く。

「見かけたときは、まさか自分の指に留まるとは思ってなかったから、ちょっと驚いちゃって。慌ててスマホ取り出して写真を撮ったんです」
「確かに、指に留まるってないかも。っていうか、お姉さんは昆虫とか怖くないの?」
「さすがにゴキブリは大嫌いだけど、それ以外だったら意外と大丈夫な方かな」

初対面でこんな気さくに話せている自分にちょっと驚いた。
たまたま目に留まった光景に好奇心をくすぐられたとはいえ、結構な人見知りだし、自分から声をかけるなんて皆無。
しかも俺の見た目は、怖いというか、いかついと思う人が多い。
まあまあ背は高めで髪は金髪で長いし、ゴツめのアクセサリーを好んでつけている。
おまけに今日の服装なんて全身黒ずくめだ。
怪しまれることの方が多いのに、彼女は変わらず会話を続ける。

「お兄さんもこの写真見たから、きっといいことあるね。なんなら、いる?この写真」
「あ、もし迷惑じゃなければ欲しいです」

SNSのアカウントからメッセージ機能を使って写真を送ってもらった。
見れば見るほど、彼女の指に留まったハグロトンボの希少さに、その奇跡のような一瞬を捉えた彼女に心を動かされたような気がした。

「いいことありますように。それじゃ」と、満面の笑みを浮かべ、手を振りながら彼女は去っていった。


それからしばらくして、仕事で大きなオファーをもらった。
都内の庭園でライブペインティングをやらないか?と、日ごろからお世話になっているアートギャラリーから声をかけられた。
画家として食っていけるようになったのが数年前。
たまたま有名人に買ってもらった絵がきっかけで、ようやく名が知れるようになったのもつかの間、ここ一年ほどは思ったような絵が描けず悶々と過ごしていた。
アトリエで思案しているのが嫌になり、なんとはなしに即興で描いているところにアートギャラリーのオーナーが顔を出した。

「へぇ、こうゆう絵も描けるんだね。なんというか…心の中がむき出しになっているというか…」
「いや、ここのところ、頭の中で色々と考えていてもなかなか形にできなくて。ただ手が動くままに任せた感じですけど…」
「うんうん。それでも伝わってくるものがあるよ」

オーナーが気に入ってくれたこともあり、とんとん拍子に話が進み、半年後にライブペインティングをすることとなった。
とはいえ、そんなイベントは一度もやったことがないし、俺にできるのかどうかもわからない。
焦りと恐怖がないまぜになりながらも、なんとか自分を奮い立たせていたのは、『いいことありますように』と言ってくれた彼女の言葉と、ハグロトンボの写真のおかげだった。
あの写真がきてからというもの、取材やイベントのオファーが増え、ありがたいことにメディアでも取り上げてもらえるようになった。
もしもう一度あの彼女に会えたなら、直接お礼を伝えたい。
そんな想いが心の片隅に居つきはじめたころ、その日は唐突にやってきた。


ライブペインティングの打ち合わせで、アートギャラリーのオーナーと庭園に向かった日。
展示数や展示イメージも決まり、ライブペインティングスペースの客席の配置など、決めなければならない事柄がほぼ確定し、ほっと一息つこうとしていたとき。
淡いピンクのワンピース姿で目の前を通り過ぎた女の人の背中に、どこか見覚えがあるような気がした。
もしかして…と考えるより先に、声をかけていた。

「あの、お姉さん、すみません」

振り向いたのは、やはりあの彼女だった。

「え?あ、もしかして、あのときの…」
「はい、ハグロトンボの写真をもらった、あのときの者です」

彼女はとても驚いていたが、笑顔で話しかけてくれた。

「どうしてここに?」
「今日は仕事の打ち合わせで来ていて。一息つこうと思って外に出たら、お姉さんの背中に似ている人がいるなぁ、って、思わず声をかけちゃいました。お姉さんこそ、なんでここに?」
「前から来てみたいと思ってたんですけど、なかなか時間が取れなかったんです。今朝起きたとき、急に『今日行こう!』って気持ちになったので来てみました」

偶然にしては出来すぎのような気もしたが、この機を逃すのはもったいない。

「実はあの写真をもらったあと、結構大きな仕事が入ってきて、急に忙しくなったんだ。だから、もしどこかでまた会えたら、直接お礼を言いたい、ってずっと思ってて。あの写真をもらったおかげです。本当にありがとう」
「えー、そんなそんな!私が何かしたわけじゃないですよ。でも、いいことあったんですね。よかった!」

まるで自分事のように喜んでくれる彼女の笑顔がまぶしかった。
伝えられたことに、ほっと胸をなでおろしていると、まじまじと彼女が俺の顔を見ていることに気づいた。

「あのぉ、つかぬ事をお伺いしてもいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「はじめてお会いしたときも思っていたんですけど、アーティストの吉沢よしざわまもるさんに似てるって言われませんか?」
「あ、はい。本人です」

正体を明かした瞬間、彼女は飛び上がるほど驚いていた。

「ええええええ!!!わわわ、ご本人でしたか。大変失礼しました!」と深々お辞儀をするなり、急に自己紹介された。

「私は四十八願よいなら かなうと申します」
「へ?名前?なんで?」
「私だけ吉沢さんのお名前知っているのは失礼かと思って、自己紹介しました」
「そっか、それはありがとう。あまり聞かない名前だよね。漢字でどう書くの?」
「漢数字の四十八に願いが叶うと書いて、四十八願 叶」

あぁ、だからなのか。他の人にはない、透き通るような佇まいは。
勝手ながら、その名があらわす通り、人の願いや想いを届ける人なんだろう、と感じた。

「あっ、俺そろそろ戻らないと」
「そうですか。お仕事、がんばってくださいね」
「うん、ありがとう。じゃあ、またどこかで」

口にした瞬間、自分でもびっくりした。
今回こうして会えたのも偶然だし、名前がわかったからといって次に会えるかどうかなんてわからないのに。

「またどこかで?」
「…なんとなく、四十八願さんには、またどこかで会うような気がして…」

変なヤツ、と驚かれるかと思ったけれど、意外な答えが返ってきた。

「ふふ、そうかもしれませんね。じゃあ、そうなるんだと思います。それじゃ、またどこかで!」

あのときと同じように、彼女は手を振りながら去っていった。


ライブペインティングは、ありがたいことに大盛況だった。
友人、知人はもちろん、アートギャラリーのオーナー伝手でその界隈の有名人なんかも顔を出してくれた。
またひとつ分厚い殻を破れた気がして、自身の核心に触れたような、自分の軸が間違いなく一本立ったような感覚を得た。

「いいイベントだったね。なによりも吉沢君、とても楽しそうだったよ。ほら」

差し出されたのは、ライブペインティング中に撮られた写真だった。
アクリル絵の具が飛び散る中、笑みを浮かべた俺が一心不乱に描いていた。

「こんな顔で描いてたんだ…」
「笑っている自覚、なかったのかい?完成した絵にも驚かされたけど、僕はこの顔を見られたことの方がずっとうれしかったなぁ」

今回ライブペインティングで描いた絵は、木漏れ日がテーマ。
庭園でのイベントだったし、自然が織りなす美と調和する気がしていた。
森の樹々の間から差し込む光が、本来の自分へ還る道標となってくれたらいいと、描いている間ずっと思っていた。
今思えば、自身に向けてのメッセージでもあったのかもしれない。
その写真の中の俺は、間違いなく純粋に絵を描くことの楽しさや喜びであふれていた。

「そうそう。この作品を展示したいって、いくつか依頼が来ているんだ。いいよね?」
「あ、はい。お願いします」

これをきっかけに、各地で展示会イベントが急増することとなった。
イベントは月に一度、一週間ぐらいのペースだったけれど、どこもたくさんの来場者に恵まれた。
お会いした方々から直接もらう感想が励みになったし、純粋にうれしかった。
『ここにいていい』と、ようやく誰かに認めてもらえたのを肌で感じることができたから。
同時に、もっとたくさんの人に届けたい、という気持ちが湧きあがっていた。
その想いを作品へ託し、昇華する日々を送っていたある日、めずらしく友人から夕飯に誘われた。

「最近あちこちで作品を見かけるから、忙しいとは思ったんだけど、なんか急に話したくなってさ」
「まぁ、忙しいには忙しいけど、こうゆう誘いはうれしいよ」

誘ってくれた渡辺は学生時代からのつきあいで、ウマが合うというか、タイミングが合うというか、自然体でいられる貴重な友人のひとり。
無言になったとしても、無理に会話を続けなくていい気楽さがある。
ただ隣にいるだけなのに、同じ感覚を共有しているような、妙な安心感が心地いい。
飲み食いしながら、ぼつぼつと近況報告をしていると、次第に店内も人が増えてきた。

「2名様、こちらのお席へどうぞ」と、俺たちのひとつ向こう隣の席へ案内された人の顔を見て驚いた。

「え?四十八願さん?」
「あ!吉沢さん。やっぱりまたお会いしましたね。お元気でしたか?」

ええ、まぁ、とかなんとか、もごもごしている俺を脇目に、渡辺も驚いていた。

「え?叶?」
「こうちゃん!なんで吉沢さんと一緒なの?」

なんでも、四十八願さんと渡辺は、母方のいとこ同士だという。
こちらの出会いをざっと話し、まさか共通の知り合いがいたなんて、とか、世間は意外と狭いね、なんてお互い驚きつつ、それぞれの時間を楽しみましょう、と各々席に着くことにした。
こうゆうときの一瞬の間というのだろうか。
それまでの空気感から一変してしまって、正直、何を話したらいいかわからない。
黙々とつまみを食べていると、渡辺が口を開いた。

「衛、あのさ。叶はダメだよ。あいつ、来年の春に結婚するから」
「え?いや、そんなんじゃないよ。たまたま何回かバッタリ会った、ってだけで…」
「そうか?ならいいんだけど」

ホント、ただ何度もバッタリ会うことがあっただけ。
とはいえ確かに、こうも偶然が重なれば、そりゃあ気にならない方がおかしいよな。
淡い期待を感じていただけに、始まるより先にはじけ飛んでしまったショックが大きい。

「叶ってさ、なんか子供の頃からちょっと変わってて。有言実行じゃないけど、言葉に力があるっていうか…発した言葉とか想いを実現しちゃうヤツでさ。気味悪がられたりすることもあるんだけど、本人は至って相手とまっすぐ向き合ってるだけで、打算とか一切ないんだよな」
「ああ、うん。実は2回目に会ったとき、思わず『またどこかで』って自分が口にしてることにびっくりしてさ。で、四十八願さんからも『じゃあ、そうなるんだと思います』って意外な答えが返ってきてさらに驚いて、の今日だよ」
「あいつにとっては通常運転だな」

通常運転か。
でも俺にとっては、印象深い出来事だったんだよな。
指に留まったハグロトンボの写真と、彼女の何気ない一言に支えられていたんだから。
ほんの一瞬の出来事が、人との出会いが、自分を変えるきっかけになったことは紛れもない事実。
幸い、渡辺のいとこに手を出すような真似はしなかったんだし、友人くらいにはなれる気がする。
そもそも男と女が出会って、恋愛に結び付くしかない関係が不健全なんじゃないか?
人として魅力があるってことの方がもっと大事だ。

「ま、偶然だったとしても、こうやって再会してるんだから、衛とも何かしら縁があるんだろうね。またどこかで会うようなことがあったら、仲良くしてやってよ」

俺の心中を知ってか知らずか、渡辺は帰り際にそう言って、また連絡するよ、と駅の改札に吸い込まれていった。


その後も、四十八願さんとは相変わらずバッタリ会うことが多かった。
毎回場所は違えど、気づいた方が声をかけ、時にはカフェでコーヒーを飲みながら、親交を深めていった。
人が出会う確率は0.00004%ほど。その中で実際に接点を持てる人なんて3万人程度だ。
その内のひとりが今、目の前にいる奇跡。
そしてこの人が、俺の人生の転機に立ち会ってくれた。
未来がどうなるかなんて知ったこっちゃない。
今はただ、この縁が少しでも長く続けばいい、と願っている。

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mina
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