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残念さをひきづってきた…
レゾナスバディとのプロセス。
私の中にある「安心」を確保するための戦略を取る 無自覚な手段。
それがどこからくるのかに迫りながら進める。
・・・
私は、真実を言わないと誓います(犯人探しをしない)
人を押しのけてはならないし、自分のニーズを押し付けてはならない。
自分の純粋さ、真剣さ、ピュアを押し込むことがどんなに苦しくても
私は自分の本質に誓います。
・・・
5歳の時に父の実家「本家」の同じ歳の親戚(従兄弟の子供)が妹と、家に来た出来事。
お留守番の子供を母が一時的に面倒を見ることになったのだろう。(1回きり)
私からみたその親戚はいつも意地悪だった。
私の中に仲良くしたい気持ちと警戒する気持ちが混在していたのを思い出す。
遊び始めて間も無くその親戚の子は、「帰る」と言って妹と2人外に出て行ってしまった。
それを知った母は、ものすごい勢いで私を叱り、慌てて探しに行く。
親戚は、帰れるはずもない距離であることを知って家を出て行ってしまった。
そうすることで母が困ることも十分知っていてわざとやっていた。
母は親戚を探しにいき、親戚の機嫌を取るために私が買ってもらったこともない玩具を手に持てないくらいに買って帰ってきた。
その親戚は、それらを私に見せびらかした。
そして、「帰る」ことになったのを全て「私のせいだ」といい、私はその子に仕打ちを受けた。
何も悪いことをしていないのにだ。
理不尽だった。
母も、それを全部知っていながら、私の味方をしなかった。親戚に加担した。
それがどれほどショックで、孤独で、寂しくて、自分が消えそうだったか…。
言葉も出ない。
誰にも理解されない理不尽さ。
本当は大好きな母に、背中を向けられた瞬間だった。
その怒りや、田舎にある「本家」というヒエラルキーに従う行動を取る母にびっくりし、絶望を感じた。
「私よりもそっちが大事なんだ…」
「私のことより、世間体・たてまえが優先なんだ…」
「仕方ない。それは本当に仕方ないことなのか?」
そうじゃないと思いたいが、そうであると思うことで自分を封印した。
この絶望や怒りを、私の中に封印しないとまた痛い目にあう。
私は犯人に吊し上げられる。
もう痛い目に遭ったり、これ以上悲しい思いをしたり、呼吸ができないくらいに行き詰まるのはごめんだ。生きていけない。
私の中に確かにある私の大事な 本当のこと、純粋さ、真剣さ、ピュア、イノセントは深い悲しみを感じさせた。
それが揉み消されるような感覚が小さな私に無力であることを覆う。
固まるしかなかった。
いじけるしかなかった。
そして、その時に私の中にある真性を大事にすると誓った。
と同時に、理不尽さを知っていながら、そこに従順になるこの社会や構造に怒りを握りしめた。
それを今も持っていること。
成長の中でもいくつも家父長制のニュアンスを感じる。
人より敏感に感じることを自覚する。
何かのセンサーが受け取ってきた。
そして、言葉の裏にあるその人の感情がよく読めるようになった。
伝わってくるのだ。
文字のメッセージでもそれらは感じる。
圧力的なニュアンスや、恐れ、押さえ込み。
怒りを渦を巻くように持っていた。
その中で、私は自分の安全を確保する必要があった、
だから、私は自分の安全を脅かさないように、戦略を取る。様々な行動を無意識に身につけてきた。
その中にも、誓いがある。
「安全」を維持するための誓い。
私は、真実を言わないと誓います(犯人探しをしない)
人を押しのけてはならないし、自分のニーズを押し付けてはならない。
自分の純粋さ、真剣さ、ピュアを押し込むことがどんなに苦しくても
私は自分の本質に誓います。
これが今の生活の中にある もやもや、怒り、息苦しさの原因でもある。
***
ブッダの教えについて対話の中から気づき
ブッタがサンガでは、「それはいいね」「それはいいね」「やってごらん」と誰もを含め肯定したという。
なぜブッタはそう言えたのか。
ブッタは知っていたのだ。
人間は恐れを根源的に持っていることを。
だから、まず最初にその恐れや防衛をなくすことをした。
無条件の受容。
指摘、教育、否定、修正、脅し、教養、判断、解釈、分析、比較
これらをしない。
神経系を十分に落ち着かせることを優先する。
私たちの根っこにある大事なベースを満たすのだ。
マインドフルネスのベース。
そして、誰もを含める。
一緒にサンガを行うことで自分の命につながるのだ。
神経系が安心することで、ゆっくり自分につながることができると自然と願いや愛につながる。
防衛を解いて、サンガでつながることは自分の命につながること。
そこには利己的な考えや相手を押しのける考えはないことをブッタは知っていた。
無条件の受容の先にあるものは、「安心」して自分の命につながることができることだ。
ハートと同期した状態から、洞察を得ることができれば世界の平和は自ずとやってくる。
何かを教育しようとするのではないこと。
その前に自分につながること。
あ、このことをMikiのメイキング・オブ・ライフのバディでもやったばかりだ。
自分のニーズを満たすことに意識が向きすぎてしまう時、スローダウンし、まずは自分で自分のニーズを満たすこと。相手にリクエストするのはニーズを満たすための戦略としてではなく、既に自分で自分のニーズにつながったところから、それらの質を纏って意識を相手に向けるだけで十分なのだ。