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社会的地位の権威

今ここの覚書
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セルフコネクション(誘導瞑想を仲間にしてもらう)
引越しに伴う緊張があることに気づく。
胸のあたりにヒヤヒヤする感覚。
これ、緊張だよな…と、初めて今の自分の状態に気づいた、
不安よりも緊張しているんだ…と自分を理解する。
1週間前の状態とは自分が変化している。

引っ越しの梱包作業をするといろんなものが出てきた。そして選別しながら処分している。
子どもの頃の自分の写真、着ることがなくなったスーツや洋服、本、そして毎回コピーしている学びのスプリクト。
捨ててしまうことで、自分からなくなってしまう感覚があり、私の判断はこれでいいのかと緊張していたことに自覚的になる。
その時に、仲間の行う誘導誘導で自分にじっくりつながることで変化を感じた。
もう一度、ここで自分を感じる。
スローダウン。

物理的に処分しても「私」の中にそのまま存在しているという洞察。
何も怖がることはない。その時々に必要なものを私は手にしてきたし、そして手にしてきたものは引き出しを開けることにより十分に活用できる。
そう思ったら、ヒヤヒヤした体の感覚がなくなっていた。
子どもの頃の思い出も思い出せばいつでもそばにあるし、学んできたスプリクトも私の中に刻まれている。だから、ときめくものだけを残しておけばいいんだよという声。
心が軽くなった。

引っ越しの段取りは思ったよりも難航した。
シングルマザーの社会的地位が低いことをこれでもかと知らされることが多く、また何か突きつけられるものがあるんじゃないかという緊張。

賃貸契約
賃貸収入の確実性を求められる。(毎月決まった収入を証明できるものの提示)
不確実なものは全て認められないと認識される。
確実性と利益のシステムに隙間がないこと。

引っ越し業者との契約
引っ越し日がなかなか定まらない。繁忙期ということもあり、高額な引っ越し金額のお客様が優遇され後回しにされる。日程も当初の希望日ではなく別日で契約。
電話したのは10社以上、見積もりに来てくれたのは数社。
気持ちを向けてくれたのは…どうだろう。
皆戦っている中で、あてにならないを突きつけられる。
準備・段取りを進めるなかで相手のシグナル(非言語で受け取る反応)や扱いが主な緊張の原因だ。

こんなにも日本の社会の中で自分が存在すること、地位的ランクが低いことは生きていくのに辛いのかと受け取ることは、抹消される怖さがあった。
何日も、ワークをし続けた。
住むところがなくなる怖さと、人間味が感じられない個人的な損得が見え隠れする取引のようなやり取り。

夢につながり続けるしか方法がなかった。
自分のいのちを解放し、健やかで生き生きさせることが今ここで必要だった。
ワークをしては現実に引き戻されるも、ありがたいことにつながる仲間が私にはたくさん存在した。
引っ越し先が決まり、引っ越し日が決定できた。
亀のような小さな進歩でも、一歩一歩進んできている自分を褒めてあげたいと思う。

そして、もう一つ大事にしたいのが、
子どもたちの気持ちを聞くことや現実の可能性との照合、嘆きを十分に受け止めるお互いの時間や合意のプロセス。
全部が教科書通りではないにしろ、私はNVCやプロセスワークで手にしてきた全てをここに持ち込んで、子どもたちと希望を見る作業に没頭していた。
現実の厳しさを感じる中、どこまで子どもたちと可能性や希望を感じて楽しくやれるかにチャレンジした。
と、同時にどこまで子どもたちに自分を開示したらいいか迷いもあった。
愛着への影響、子どもたちの心の中に誓いを持つような悲しみにつながらないようにできる限りのケアを向けた。
子供が何を感じてどう思うかまではコントロールできないし、意図的に何かをするのはしたくないと思った。自然の中でありのままであることを受け取り合うこと。それぞれを尊重すること。
私が私を信頼し、深く深く私のいのちを生き生きすることを感じ、そのエネルギーや願いの中で子供が自由に自分のしたいこと、思っていることを発言できる自由さが一番だと辿り着いた。

仲間がただ嘆きを聞き、今の自分を承認してくれている。
それがどれほど救いになっていて、助けられているかを実感している。
今、私にはたくさんの仲間がいることを噛み締めている。

本当かどうかもわからない信念に囚われて行動するのはやめる。
体が硬直し、自分が不安になる環境に身を置くことは選択したくない。
自分が何を選択したいか、自分の命が答えを知っている。
そこにどんな言葉の選択があるのか。
なぜ自分はその言葉を発したくなっているのか。
意図や大事にしたいものを相手に強要してはいないか。
満たされる選択をしているのか。
深く自分とつながることが大事である。

「何か協力できることがあったら、いつでも声をかけてね」
そうメッセージをくれて見守ってくれる仲間の存在がどれほど心強いか、家父長的な「〜しなければならない」信念に気づき、手放すことに今回の引っ越しは大きく貢献してくれている。
そして、社会というシステムがどのように稼働しているかにもよく観察できる。
翻弄されず、自分を持つ。
大事にされている感覚を十分に全身で感じ、リラックスするのだ。
焦らなくても大丈夫。
大きな木をイメージし、
私は自分自身にも、そしてすべてに「信頼」を差し向ける。

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