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わたしとNVCの旅 美しさに目覚めるまでの道のり・・・。

土曜日、NVCのシェアをさせていただくので、自己紹介を考えました。
その一部分・・・(15分の短い時間でシェアするのはとってもチャレンジング。何を響かせたいかを考えたら、わたしとNVCを語るしかないと思ったw)
わたしとNVCの旅

福島県出身。実家は自営業、ガス屋を営む 4人兄弟の歳の末っ子として誕生します。
実家は人の出入りも多く、忙しい両親と歳の離れた兄弟に可愛がられて 育ちました。
思春期に入る頃、私は自分の家族に対し、違和感を覚えるようになります。
「何かおかしい・・・」「この家族、変だよ」と思うようになっていきました。心の奥でいつも「こんなのおかしい」「なんでこんなこと・・・私ばっかり」と思うのです。
 それを声に出せず、違和感や矛盾を心の奥に追いやり、今のこの現実が当たり前で、これが幸せなんだと思い込ませ、受け入れていくのです。
 生きていくって辛いこと。何も変えることのできないことばかりだと、信じ、無力感と社会に服従する感覚、抑圧や葛藤を抱えながら大人になっていきました。

何がそうさせていたのか・・・それを理解したのはNVCを知り、自分自身と向き合うことを行うようになってからです。


 私の母は子供の頃、両親を亡くし母の兄弟は親戚の家にバラバラに引き取られて育ちました。母は山形の農家の叔父のところに引き取られます。まだ1年生に上がる前だったと聞いています。
 今から70年以上も前の話です。その頃の日本は戦争に負けたばかり。国中のありとあらゆるところに 戦争の影響が多く 残っていました。
 農家に引き取られた母は、おしんのように子守をし、家政婦のように炊事や農作業の手伝いを行います。その時に母に向けてかけられていた言葉は 推測ですが 奴隷を使うような言葉の数々・・・。母はもう、あの頃のことは 思い出せないとも言っています。辛い出来事を認識したり受け止めてしまったら 母は、生きていくことができなかったのだと思います。
 怒鳴られ、罵声を浴びせられ、脅される・・・・。小さな母はお母さんの愛情や優しさを知らずに大人になります。
 
 母が母親になって 私たち4人を育てる中でのコミュニケーションは、母の内側にある「心」とは全く違った言葉になって表現されていました。そう、母の愛情を表現する言葉は強い棘がありました。棘のある言葉を発してしまうので、優しさや愛情は伝わらず、母もそれをどう伝えていいのかがわからないのです。その母に育てらる私たちは、その影響を多く受け取っていきます。どこか不足感を抱えています。愛情が満たされないままなのです。
 その頃、私たち家族は関係性をよくするためのコミュニケーションというものを全く知りませんでした。思ったことを口に出し、想いが伝わらないと 大きな声で怒鳴り、自分を守るために防衛的、攻撃的になり、殴り合いの喧嘩が家の中で常でした。本当は繋がりたいのにつながれない。
出てくる言葉は、「〇〇しないとこうなる」「〇〇したらこうしてやる」などの相手を不安にさせてしまう言葉ばかりです。お前が悪い、自分は悪くない、お前は罰を受けるに値するなど、とても耳や心が痛くなる言葉が飛び交います。なので、トラブルが頻繁に起きていました。
 歳の離れた私は、その家族の会話や攻撃的なやり取りを眺めながら成長していきます。常に恐怖と自分を守るための対策、防衛的になっていきます。そして自分の安心する空間を自分の中だけでもち、家族から自分を周縁化していくことを覚えていきます。

誰が悪いわけでもないのです。
ただ、時代と 歴史 の痛みの連鎖・・・。
ただ、相手とつながるための コミュニケーションを 習っていないだけ。
知らないだけ。
そして、生きていくために、自分を守るために 必死に自分を守って生きているだけ・・・。
行動のほとんどが 恐れから。「こうしないと不安」「こうしておかなければ認められない」「こうしなければ生きていけない」
無常だけが自分の中で広がることが当たり前になり、生きる喜びや生き生きさをどんどん手放していくのです。


その当時、自分が自分に誓いを立てた言葉
「私は、どうせわかってもらえない。」
「受け入れてもらえない」
「なぜならば、私は価値がないから。」
「ここに含まれていたいの出れば、自分で自分の価値を認めてはならない。」
「私には力も、選択もない。」

この誓いを今も必死に守っています。
そして、兄や姉に似たような人、日本の無言の圧力文化、社会性を感じると大きく反応します。
同じような感覚を察知すると、敏感に体全部で反応します。
後頭部から首がかたまり、ぎゅっとして身体中がすくむ。そして孤独に見舞われる。でも、今はもう、この感覚を嫌っていません。
私に大事なことを教えてくれているサインです。私に「あなたの大事なことは社会性から解放されること、枠や型にはまらない自由さを手に入れる社会を目指すこと」と、教えてくれて・・・
「もう大丈夫」そう言って ふんわり包んでくれます。

この誓いに気づくことで、また新たな プロセスが私にやってきてます。
そのプロセスに ひとつひとつ出会っていくことが NVCであり、私の人生はNVCそのもの。
生きていくために 必死になって 自分を奮い立たせ 前に進もうとしている私は 美しい。
人間であり、そのまんま。

この痛みは、私にしかないリソースである。この痛みとともに生きる。
私の家族も、愛をどのように伝えたらいいかが見えなかった 苦しかった。
みな、心はつながっていると NVCを知った 今は思えます。
自分につながらなければ、相手のことなど見えてこない。
自分とつながる作業がNVC。
NVCよありがとう。
そして この誓いを一緒に探してくれた 旅の仲間、友達に感謝します。
皆さんにも この美しさに 出会って欲しい・・・。

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