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ホワイトブッダのすごいご利益 -超至近距離で見るラホツと福耳-

雨季のスリランカ、古都キャンディ。
相変わらず朝からざあざあ雨が降っていたものの、昼前に薄日が射してきた。

慌ててトゥクトゥクをアプリで手配して、「ガイドブックに載っていないながらも一見の価値あり」との口コミがあったホワイトブッダの元へ!

なかなかの小高い丘、というか小山?を、馬力のないトゥクトゥクは苦しそうに登っていく。やがて頂上の手前にある参拝受付へ到着。
そのころには雨も完全に上がり、空はかなり明るくなってきた。

靴を下足番のおじさんに預け、受付の白人女性(なぜかスリランカ人ではなかった)に入場料120円ほどを支払う。
そこからしばらく階段を上ると、青空を背にしたホワイトブッダが穏やかに鎮座していた。
先ほどまでお天気が悪かったせいか、他に参拝者は誰もいない。
鳥の声以外に何も聞こえてこない静かな空間。
さらに爽やかな風がそよいでおり、浮世から離れてしまったのかと錯覚しそうだった。

そして、この仏像の横には階段があり、なんとお顔の裏まで行くことができる。
ビルの5階くらいの高さまで、濡れた階段を裸足で慎重に上っていくと、ちょっとした踊り場に出た。
すると目の前には、ホワイトブッダのうなじと、大きなラホツ(仏様の髪の毛)が!

こんなに間近でラホツを見たのはさすがに初めて

そこから眺める、キャンディレイクを中心とした街の眺めは素晴らしかった。いつも市内の喧騒の中、タカリの連中と戦いながら過ごしていたので、キャンディがこんなに美しい場所だという実感がなかった。

「目の前のことだけでいっぱいになるのではなく、視座を上げて物事を見る」ということの重要性をホワイトブッダに諭されているような気持ちになる。

人生の半分あたりまで来てしまったいま、強烈に視野を広げて好きなことにまい進してみたい、と思って仕事を離れた。
100年生きるうちの1年くらい、世間体や世の中の常識を顧みることなく、好奇心と知識欲に従って生きてみようと決めた中でのこの旅。

しかし、ふと「毎日何か意味のあることをしなくては。」「本当にこんなことをしていて良いのだろうか。」という焦りにも似た思いが頭をかすめ始めていた時期だった。

小高い山の上でホワイトブッダと一緒にいたら、「人生の価値って自分が決めることであり、価値があると感じるもののために心と時間をささげて、その結果、自分も豊かになることなのかも。
そしてその延長線上に、世の中での自分の果たすべき役割が存在する。
それこそが多様性ある理想の世界なのかもしれない。」なんて考えていた。

もしかすると、ホワイトブッダの顔の横に立っている自分の視点も少しだけ高くなったのかもしれない。
感謝の気持ちを込めて、その後頭部と、びっくりするほど福を感じる耳も撮影。

本当のご利益って「物質的なもの」ではなくて、「ものの見方を変えるための気づき」をいただけることなんだ、と気が付いた参拝だった。

階段を下りてホワイトブッダの足元に戻ってきたら、かわいい小坊主たちが嬉しそうにはしゃいでいた。
より一層、幸せな気持ちになったよ。ありがとう。

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