人形さん

崩れた体にいろいろ試してみる。

ハサミを突っ込んだり、糸を縫ってみたり、セメダインを付けてみたり。

それでも
体に傷がつくわけじゃない。
中身は見えてるけど、見えてるだけであってそれは傷じゃない。覗いて、反対側の壁が見えたけど、それもやっぱり傷じゃない。
皮がズレてぐしゃぐしゃになったけど、それだって傷にはなり得ない。

じゃぁ、私にとって傷とは何か。

それは傷も所詮他人から見た点によって発現されるもののひとつであるということである。

そいつが痛いかどうかはそいつが感じるものであって、現実に共感というものがあるとしたならば、それはもう幻痛の類である。

真性の天然が、天然を否定するように他者の存在により、それは現れる。

モノ言わぬ人形にハサミを突きつけたら、人形は死ぬのだろうか?

死体蹴りをしたら死体は死ぬのだろうか?

人形の心があるとしたらやはり死んでいくんだろうと思う。器に魂が宿っているのと同じように器が壊れたら魂は器には入れなくなるからそうなんだろう。
人だってあまりに痛いと意識を失うのと同じように。

では、死体はどうか。
器が壊れたら魂が入れなくならば死体は既に壊れたモノと同等である。もしかしたら破片の隙間から入り込むかもしれないが、それは本当に同じ魂なんだろうか。現世への未練が強すぎて悪霊となるならば、同じ魂ではないだろう。マクロが体なら魂であるミクロは化学変化したら同じ物質とは言えないのだから。

傷は動いているのだ。
細胞が動いてるだから傷だって動かないはずがない。

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