学びとかつながるということ

こんにちは。Minaです。

最近、学校や学びについてお話をさせて頂いたり、海外で育ったの?とかどうやって育ったの?とか、どうしてやろうと思ったの?と聞かれることもあるので、少し考えていました。

いつも言うのは、「私は私たちの先生は自然や社会だと思っていて、学校や習い事は社会の一部だからそこでも学ぶし、それ以外からも学びますと思っています。」ということと、「年齢や住んでいる場所、いろんな経験、それぞれの違いを大切に一緒に考えられたら良いと思っています。」ということくらいです。4年生くらいの時に、なんとなく思っていることを説明するのに、こういう言葉が伝わりやすいかなと思って、こう言っています。

そうしているうちに、どうしてそう思ったの?何がきっかけでやり始めたの?海外で育ったの?どうやって育ったらそう思ったの?と聞かれるようになりました。

私はもともと学校や社会に何か不満とかもあったわけではなくて、楽しく暮らしてきました。普通に暮らしていたらそう思ったから、どこから説明していたらいいか迷っていました。そんなに大きな理由というか衝撃的なことがあったとかでもなくて、このように聞かれても、何かいいエピソードあるということでもありませんでした。自分でも何がきっかけでそう思ったのか特に探してみようとも思っていませんでした。今、なぜそう思ったか思い出しながら少し考えてみました。

私は東京で生まれて、2ヶ月目から兵庫県の但馬地域を毎月行ったり来たりしていたそうです。兵庫県に住んでいた曽祖母が介護必要になったり、いろいろ用事があってそうなったみたいです。東京は美術館とか習い事とかいろんなことがあるのですが、但馬地域も人が少なかったり山とか川が暮らしの近くにあって、東京とは違うものもいろいろあります。母は介護やお仕事やその他のことで、東京と兵庫県の但馬地域や他の地域、時々日本以外の国にもちょっと用事ができて移動して、私はだいたいそれにくっついて行きました。だから小さい時にちょっと移動は多目に育ったかもしれません。

それから、引っ越しも少し多目かもしれません。

途中で東北地方太平洋沖地震がおきました。私は、その時曽祖母の四十九日の後のお片づけとかがあって兵庫県にいたのですが、私は小さいので東京で一人の時に地震がきたら対応できなさそうということで、そのまま私だけ兵庫県の但馬に預けてもらっていました。1年間くらいはそこに住みました。その時にやったのか、違うところに住んでいて通っている時にやったのかどっちだったかはっきり覚えていないのですが、そこでは川で浮き輪で泳いで浮き輪から落ちてちょっと流されたり、夏休みのラジオ体操に小学生とか大人の人に混ざって行ってみたり、ダンジとか木の実をとってみたり、山椒の実を分けるのを手伝ったり、鴨の雛を田んぼに離すのを体験してみたり、畑の収穫に行ったり、王山椒魚を保護したり、雪が降ったら雪だるまを作ったり、珍しい動物が捕まったらみに行かせてもらったり、とりあえずいろんなことをしていました。いろんな野生の動物や虫もいるのです。人が少ないけど、地域でいろんな年齢の人が一緒にいて、助け合ったりしています。奉仕作業は大人も子供も一緒に、ゴミ拾いをしたり、伸びすぎて道に出てきてしまった木を切ったりして、最後に全員ジュースをもらって飲みながら少しお話をしたりします。高齢の方で一人暮らしの人がいたら、おじさんたちがテレビの修理を助けてあげたり、通勤の途中に自動車で送ってあげたり、足りないものを買ってきたあげたりもします。それで、お礼に持っているお菓子やお野菜をあげたりあげなかったりします。0歳か1歳くらいのオムツの時の私も、足が弱くなって立ちづらくなった曽祖母が立ち上がるときにお尻を持ち上げて立つのを手伝おうとしたり、立ち上がった曽祖母は私が廊下の段差で転ばないように手をつないで廊下を歩いてくれたりして協力したそうです。

そうしているうちに幼稚園に入るくらいの年齢になって、私は京都の幼稚園が気に入って京都に住むことになりました。京都は、お漬物屋さんと和菓子屋さんがたくさんあってすごくうれしくて、お散歩に行ってお漬物屋さんを見つけて喜んでいました。但馬地域よりもずっと街で、でも東京とも但馬ともまた違ったものがたくさんあります。散歩していたら金閣寺が出てきたり、馬に乗った人が商店街を歩く行事があったりします。育てていたメダカとずいき祭りですくった亀のために平野神社の井戸水をくみに行ったりしてお世話をしたり、道で亀を散歩させたりしました。近くのお友達と遊んだり、お向かいのおばあさんたちと仲良くなって植木のお花をもらったり、お菓子を分けてもらったりもしていました。バレエやそろばん、塾とかもだいたい歩いていけるところにあります。お散歩中にお三味線の教室を見つけて、やってみたいなと思って、演奏会を聞きに言ったらすぐにやってみたくて、体が小さくても始められるお箏を習い始めました。京都は、お箏や生け花やお茶もそうだけど、暮らしの中にいろんな文化が普通に入っている感じがします。私は最初は力が弱いから音もあまり出なかったし、幼稚園で運動会の練習をした日は眠たくなってお箏の先生のお家で寝てるだけの日もありました。先生の門下にはいろんな年齢のお姉さん弟子さんもお兄さん弟子さんもいらっしゃってとても上手です。先生はいろんなことを教えてくださって、私も練習をして小学校4年生の時には宮城道雄記念コンクールに出て3位の賞も頂いたので少し良くなっていました。そんな先生なので、幼稚園の時でもお箏やお茶は習っている私の方が母よりも得意になって、お家の中では母が私のお弟子で、私が教える係になりました。あとは、京都には子供が一人で乗れるタクシーもあります。私が行きたい実験のイベントがあるけどお仕事で連れて行ってもらえない時に、どうしても行きたくていける方法を探している時に幼稚園の先生に教えて頂きました。それでお願いをしてそのタクシーを使わせてもらいました。こういうタクシーは東京では見つけたことがなくて珍しいと思います。伝統のある街で、街の安全さがあるからできるのかもしれません。京都にはもともと街で子供を育てると言う意識があるそうで、小学校などの成り立ちも他の地域とは違うと教えてもらいました。そういうのも関係あるかもしれません。そんな感じで幼稚園の時の京都もとても楽しかったです。

そうやって過ごしているうちに幼稚園が終わって、小学生になる時にまた東京に戻ってきました。お箏も続けていて京都や但馬にも行ったり来たりするのは続けながら、東京でも新しいお友達もできたし、幼稚園ときに義手とか義足を作れるようになってみたいと思ってプログラミング教室を探してもらって行ってみたりしていました。いろんなものがあって東京は便利です。でも、引っ越してから4年間くらいは京都の方がいろんなものが少し少なくて工夫したり、いろんな人とお話できて楽しくて東京はちょとつまらないなと思っていました。それで時々習い事に行かないで、一人でお家で本を読んだり、勝手に絵を描いたり、お家にある布や木やビーズとかで勝手にものを作り続けたりしている日もありました。京都から東京に引っ越してくる時にテレビを置かないことにしたのでお家にいる日は静かで、本を読んだりいろんなことを勝手にやってみるのにはちょうどよかった気がします。それから、途中で子供がいく習い事ではなくて社会福祉会館で市民の人が集まってドイツ語教室をやっているのを見つけて私も入れてもらうことにしました。子供は私しかいなかったのですが、おじいさんやおばあさんたちたちと一緒にお菓子を食べながらお話をしたりしながら、スイスからきた言語の先生にドイツ語を教えてもらいます。ルルルルと舌をうまく使うのができなくて、難しいなと思ったのですが、そういう風に年齢の違う人たちの話を聞いたりしながら、ゆっくり勉強するのは面白くて、東京でも楽しいことが増えてきました。

そうやっているうちに、StartupWeekendという起業体験プログラムというものがあるのを知っていってみたいなと思って、参加をしました。大人の人たちと一緒に考えたり、サービスって自分で作れるんだなと知ったり、これまでどう説明したらいいかわからなかったけどやってみたかったのはこういうことだとわかって、東京も楽しくなってきました。そこから年齢が違う若宮さんとも知り合えてメロウ倶楽部に入ってみたり、お仕事についていくのではなくて自分で行ってみたいと思ってエストニアに行ったり、シンガポールにピッチにも行かせてもらったりしました。そうやってお友達が増えていって、今はオンライン上でどこにいてもつながり続けられています。住んでいる場所がどこかは、出会いとは関係なくなってきました。

それからそれから、途中で平井大臣が大臣室に呼んでくださったことでREINART駐在エストニア大使ともお会いでき、エストニアでもKingo貿易大臣やLubi副大臣、2回目にエストニアに行ったときにReps教育研究大臣とお会いできたことで、国や自治体についてとても身近に感じるようになり、考えることが増えました。これまでに行ってみたところも、国があって自治体がありました。どういう方針でどうなりたくて、住んでいる人たちはどう思っていて、そこの暮らしは今どうなっているのか、考えてみることも増えました。まだ、考えている途中なので新しく知ることも多いです。

私は、住んでみたり、行ってみたところで、幼稚園や学校や習い事からも、それからそれ以外からも、その環境やいろんな方からたくさんのことを教えてもらってきていると思います。それぞれの場所が楽しかったです。だから、それぞれの地域や国の歴史とか環境の違いがあるのはいいな思っていて、それぞれの人の経験の違いもいいなと思うようになったのだと思いました。

但馬地域のお母さんが、「東京はいろんな機会があっていいね」と言っていて、東京の人は「田舎は自然があっていいな」といいます。都会も田舎もそれぞれ違うけど、学んだり新しいものを作るのに有利なところがそれぞれあると思っていて、それぞれの良さや課題について情報を交換できたり、自分がやりやすい環境がある場所を見つけたりできるのがいいなと思っています。それから、人がつながるとそういうことがやりやすくなると思いました。だから「年齢や住んでいる場所、いろんな経験、それぞれの違いを大切に一緒に考える」ができたらいいなと思いました。

一緒にいられるところがオンラインでもいいしオフラインでもいいし、学校でもいいし、それ以外の図書館や児童館やそのほかの施設でも良くて、それぞれの国や地域やそれぞれの人のやりやすいかったりできる方法だったらなんでもいいから、そういう機会が増えていったらいいなと思います。

それで、どこに住んでいても、何歳でも、誰でもやってみたらいいと思うことをやりやすくなるといいと思いました。「誰でも未来に貢献できる」そういうのがいいなと思って、つくってみようと思っています。

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