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「大多数の人間と分かり合えない」アロマンティックアセクシャルの私が感じる苦しさ

5月5日で、28歳になる。

第二次結婚ラッシュとはよくいったもので、ここ最近結婚報告を聞くことがものすごく多くなった。気づけば、LINEで友達登録している約8割が結婚している。

数少ない独身の友達と話していても「もういい歳だよね。ちゃんとしなくちゃ」と、そんな言葉が当たり前のように出ることが増えた。


友達が結婚して幸せそうにしているのは、とてもうれしい。でも、同時にどこか寂しさというか孤独感というかそんなものを感じることが増えた。


私は、アロマンティックアセクシャルという特性を抱えている。なにそれ?って人は、この記事を読んでほしい。

簡単にいうと、誰に対しても恋愛感情・性的感情を抱かないということ。ただ、それだけ。

でも、他者に対して大事だと思うことはあるし、この人が困ったときには絶対に力になりたいと思うことだってある。ただ、一般的な恋愛関係は難しいというただそれだけ。


そう、ただそれだけのはずなのに、私はその特性に苦しまされている。ここ最近は、それが顕著かつ頻繁になった。


大きな原因は、周りから結婚について言われることにある。とくに親だ。

私には、パートナーがいる。恋愛感情や性的感情はわからないけれど、相手には尊敬と感謝と今後も支え合いながら一緒に人生を歩んでいきたい気持ちがある。それを相手も知っていて、もうかれこれ3年以上パートナーという関係値を続けてきた。

お互い縛らず自由にやりたいことをやりながら、困ったときや悩んだときには助け合ったり、一緒に新しい体験や面白い体験をして良い思い出を作ったりと私たちなりの関係を作り上げてきた。


一般的な恋愛関係ではなく結婚を約束しているわけでもないので、周囲にはパートナーがいるという事実を公にしていなかったのだが、親から「もう28歳だし、良い人いたら結婚とか~」みたいなことを言われることが増えたので、面倒くさくなって私はパートナーがいるという事実を明かした。

始めは「お、そうなんだ。良かった!これで安心できる」みたいな反応だった。でも、徐々に「3年も付き合っているなら、もう結婚したらどうだ?」「結婚するなら早い方がいい、子ども育てるのも大変だからな」「結婚式はどうするんだ?」とか、まるで私がもう結婚して出産するのが決まっているかのように話をしてくることが増えた。

その一言一言が私にとってはとげのようで、心が苦しくなる。


私はパートナーの彼に対して、将来を考えていないわけではない。むしろ、誰よりもものすごくたくさん考えている。

でも、私の中にある結婚というものはものすごくイメージが悪い。「ずっと一緒にいるための契約」のような、とても重い足かせのような気がしてしまっているし、それを相手にも課すのはどうなのだろうといつも思う。


この世は諸行無常で自分も相手も変わりゆくものであるはずなのに、結婚という形で縛ってそれが幸せって私にはよくわからない。

大切な人には死ぬときに後悔しないよう、自由に好きなようにやりたいことをやって生きてほしいというのが私の考え方だ。

でも、結婚はそれを阻害する気がして相手のことを考えたら選択する気にならない。だって、いつでも幸せでいてほしいから。


たとえば、自分よりも相手にとって一緒にいたい人が現れたとしよう。そのとき、あなたはどうするだろうか。

私は、相手には迷わずその人との人生を始めてほしいと思う。その方が、相手にとって幸せだと思うからだ。


でも、こんな考え方は少なくとも私の周囲にいる人たちからはまるで理解されない。「なんで!?ありえない、嫌だよそんなの!!」みたいな反応をされることばかりだ。

まるで、相手は自分の所有物だとでも思っているかのようだ。付き合ったら、結婚したら相手と生涯つがいとなって一緒にいることこそが幸せ、みたいなそんな考え方の人ばかりだ。


でも、本当にそうなのだろうか。他の家庭がどうだったか知らないけれど、私の親は離婚しているし、家事も私たち子どもの心のケアもろくにしていないくせに、父親や祖父は私の母親代わりの祖母に対して言いたい放題文句を言って威張り腐っていたのを知っている。

友達のなかにも、旦那さんの愚痴を言っている人が当たり前にいる。もう、いなくなってしまえばいいのにって言っている人だっているのだ。

一緒にいすぎたことで、相手に対する敬意やありがたみがわからなくなってしまう人がたくさんいるのに、なぜ結婚して一緒に生活するのがいいと言ってくるのか私は本気でわからない。


そして、私は子どもを産んで育てようと思っていない。これは、パートナーにもあらかじめ伝えてあり、彼からも了承を得ていることだ。

数年前まであった子どもに対する嫌悪感はなくなったが、それでも私は自分の子どもを産み育てたいとはどうしても思えない。


それは、自分が生まれてきてよかったと思えていないからだ。むしろ、これまでの人生において、「生まれてこなければ、こんなつらい思いしなくて済んだのに」「なんでこの世に産み落としたのだ」と両親に対する憎しみのようなものが募ることの方が多かった。

そんな子ども時代を過ごした私としては、新たな子どもを生み出そうとはどうしても思えない。生まれてこなければよかった、なんで産んだんだよと言われて返せる言葉など私にはまるで見つからないから。子どもを産むのは、結局親のエゴでしかないと私はそう思うから。


さらに私は性的感情を抱かないうえに、過去の性的虐待のトラウマで性嫌悪まで持ち合わせている人間だ。そんな人間が出産したいと思うわけがないだろう。


親には、性的虐待を受けていたことは伝えていないけれど私の特性(アロマンティックアセクシャル)の話は伝えた。

でも、それを伝えたとき親からは「そんなのお前がわがまますぎるよ。男女の関係なんだから、そんなことでうまくいくはずがないだろう!」と、一言めにそう言われた。

私からの無言の圧でなにかやばいと感じたのか、「でもまぁ今はいろんな人がいるから、本人らがそれでいいならいいだけど」と言ってきたけれど、やはり普通の人はそう思うのかと私はおかしい人間なんだと、周りの人にまるで理解されない、受け入れてもらえないことに対して深い悲しみを抱いた。


私以外に、アロマンティックアセクシャルで同じ苦しみを抱えている人がこの世界のどこかにいるのは知っている。でも、私があたりを見回してもいるのは恋愛感情や性的感情とやらを持ち合わせている人ばかりで、本当は私一人しかいないんじゃないかと私だけがおかしいんじゃないかと錯覚してしまう。


私もマジョリティ側だったらどんなに生きやすかっただろう。周りと同じ気持ちを共有できて、どんなに安心できただろう。


でもそんなことを言っていても何かが変わるわけではないから、私は明日からも強く強く生きる。








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