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家族だからって何?

これは、私が長年モヤモヤしていたこと。

「家族なんだから大切にしないと」とか「家族は支え合って生きていくものだ」という言葉をよく聞くが、私はそういう言葉を聞くたびにいつも思う。


家族だからって何なんだろう?と。


「家族」という名前が付いていたら、ぜったいに大切にしなければならないのだろうか。母親と父親がお互いを、もしくは子どもに対してそう思うのはいいと思う。なぜなら、親が家庭を作ったからだ。


ただ、子ども側はどうなのだろう?子どもは生まれてくるか否かはもちろん、生まれてくる家庭すら選べない。

ただ、生まれたら当たり前のようにその家庭の一員になる。別に好きな人や気の合う人を選んで合意のもとに家族という関係値になったわけではない。


なのに、親はもちろん多くの人は「家族なんだから、仲良くするべきだ」「家族なんだから、協力し合わないと」「家族なんだから、そばにいるべきだ」と、やたらと「家族」という名前を振りかざして、親や兄弟などといつまでも変わらない関係性の維持を求めてくる。


家族に恵まれて親や兄弟が大好きなら、別にずっと仲良くいればいいと思う。大切に育ててもらえて感謝しているというのであれば、恩返しとして親や兄弟に尽くすというのも良いことだと思う。


ただ、私はそれをしたいと思わない。「家族」って名ばかりで、その名前を使って私をやたらと縛ろうとしているようにしか思えないからだ。


先日も引っ越すことを告げると、「見捨てるのか」と言われた。もう大人だし私はどこの誰にも縛られたくない、これは私の人生なのだからというと「じゃあ、お前の近くに引っ越す」と言い出す。


もう、依存しないでくれ。家族だからってなんなんだ。私には「家族」がいびつな形にしか見えない。家族っていっても、別に人間が集まったコミュニティの一つだろう。


学校だって職場だって、合わないコミュニティなんてたくさんあるのに、家族ってコミュニティだけ絶対に誰にとっても良い環境だなんてそんなのありえない。


私にとって、家族という関係は正直息苦しい。いっそのこと、家族との縁を切ってしまおうかと思ったこともあるくらいだ。


私は別に、家族やら恋人やら友達やらそんなわかりやすい名称がついていなくたって、私にとって本当に大切な人なら誰に何を言われようとも大切にするし、自分から関係を保つために連絡したり会ったりする。


家族もそうだけど、恋人とか夫婦とか友達とかそういう名前のついた関係に安心してあぐらをかいている人が多い気がして。


そういった関係値の前に、どれも他人との関わりであるということを忘れないでほしいと思う。赤の他人よりは、たしかに関係は深いかもしれない。でも、だからといってぞんざいに扱っていたら甘えてばかりいたら、依存していたら相手の重荷になってだんだんと心が離れていくのは当たり前のことだ。


どんなに深い関係性があったとしても、相手は一人の人間だ。どんな人も人生の主人公は、自分である。

それなのに「家族だから」「家族なのに」って言葉は、相手がまるで当たり前のように自分のために動いてくれる、自分と一緒にいつまでも生きてくれるそんな風に思っているようにしか聞こえなくて。


それが私には、とってもとっても重い。勝手に生きてくれよ、私よりも二回りいやそれ以上に人生経験を積んできた大人なのだからと思う。


私だって、別に一人だ。そして、これからもたぶん一人でいると思う。万が一、結婚したとしても相手に対して一生一緒にいてほしいとは言わないだろう。できる限り長く楽しい人生を一緒に送ろうとは思うかもしれないけど、一生なんてそんなに相手を縛るのはどうかと思うし、自分もそこまで縛られたくはないから。


この世は諸行無常で、ぜったいに変わらないものなどない。だから、名前のついた関係性に依存したり甘えてばかりいるのはどうかと思う。もちろん、どうするかはその人の自由だけど私はそんなことをしたくはない。


家族だといっても一人ひとり成し遂げたいこと、やりたいことが全く違うことだって当たり前にある。本当に大切だというのなら、それを自分のために縛るのは相手が嫌がるようなことをするのは違うのではないだろうか。


むしろ、「それいいね!面白そうだね!」「楽しそうだね」って笑顔で送り出すくらいがいいんじゃないだろうか。相手が自分の幸せのために行動するというのなら、私はどんなことであろうと応援したいと思う。(犯罪はさすがに止めるが)


家族って、美しい関係のように描かれることが多い。映画でもアニメでもなんでも。途中争うことはあるけれど結局大切な存在だよね、みたいに丸く収めている。

だからこそ、家族は大切なものだと大切に思わなければならないと、そう勝手に思ってしまう。そして自分の幸せを追求するために行動して「家族を見捨てるのか」「遠くにいくな」と言われたら、自分が家族を大切にできていない最悪な奴のような気がして自分が嫌になる。

友達に相談しても「でもなんだかんだで家族だからね~大切にしなよ~」と言われ、やっぱりそれが当たり前にできない私はダメな奴なんだと強く思ってしまう。


そして自分のことを後回しにして家族を大切にしようと行動すると、もやもやもやもやして。私は、親や兄弟のために生まれてきたのか?私の人生って私のものじゃないのかと。親がいつまでも楽しく生きるための、将来不安なく生きるための道具でしかないのかと。


そんなふうにずっと悩んでいたけれど、最近やっと答えが出た。家族よりも大切なものは、ある。

それは、自分だ。

自分を大切にできない人は、何も大切になどできないと思う。そんなことはないって言ってきた人もいた気がするけど、私はそうは思わない。


「家族だから」というただの美談で、私のやりたいことを人生を阻まないでほしい。


「家族」よりも大切なのは、「自分自身」だ。幸せになりたいなら、まず「自分」で自分を幸せにする。特定の誰かがいなくては自分が幸せにならないと思うなら、それは相手に依存し過ぎていると気づいてほしい。


他者にゆだねるのは、たぶん楽だ。他者に頼り続けて自分の望みをかなえ続けてもらえるなんて、楽に決まっている。たとえそれで何かあっても、任せた人のせいにできるから。


でも、そうしているうちに自分が自分でわからなくなる。そして、ふっと相手が自分の前からいなくなったとき、どうしたらいいかわからなくなるだろう。


私は、大切な人にそんな風になってほしくはない。私などいなくても、友達や周囲の人と笑いながら、自分のやりたいことに没頭しながら楽しく生涯を送ってほしい。


「家族」だけじゃない。名前の付いた関係がさも永遠に続くかのように思ってしまいがちだけど、それは幻想だ。その関係性は、両者がともに続けたいと思わなければいとも簡単になくなるから。


だからこそ、私は名前が付いている・ついていないに関わらず大切な人はいつでも大切にしたいし、自分で自分を満たせているかを常に意識して生きていたいと思う。

「家族」なんて、名前ばかりの関係になど縛られない。私は私のやりたいように、したいように生きるのだ。




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