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国立新美術館『ルーヴル美術館展〜愛を描く〜』

パリのルーヴル美術館には一度だけ、ツアーで行ったことがある。時間が限られていたため、本当にざっくりと有名どころを回るだけで終わってしまった。それでも大好きなサモトラケのニケを筆頭に、本物が本物として惜しげもなく次々に現れる空間に圧倒されたことをよく覚えている。これ3日くらいの通し券ないと無理ね、と思ったことも。

ルーヴル美術館で「愛」といえば、私が真っ先に思い出すのはこれだ。

アモルの接吻で蘇るプシュケ

だが、今回の展覧会がうたうように「ルーヴルには愛がある」という印象は薄い。記憶にあるのはドラクロワの「民衆を導く自由の女神」やダヴィットのナポレオンの戴冠式、エジプトからやってきた遺物など、どちらかというと戦争と血のイメージだ。展覧会のポスターを見ても、「ルーヴルにこんな甘い絵、あったっけ?」と思ってしまった。

ただ、行ってみてわかったことがある。今回の展覧会の指す「愛」とは、甘美なものばかりではなかった。欲望に忠実な、忠実すぎるくらいの愛。エゴイスティックな愛。自己犠牲の愛。うぶな淡い愛。性愛。秘密の愛。同性に向けられる愛。親子の愛。神の愛。
様々な2者間で向けられる、または交わされる感情のひとつに「愛」という名前をつけた時、それにはどんなものがあるか、どんな現れ方をするか、という様々な解釈が絵画に表現されていた。

悲恋の末に殺され彷徨う亡霊たち
これまた悲恋のふたりが揉めている絵

有名なフラゴナールの「かんぬき」も来ていた。解説を読むと、「かんぬきは男性の暗示」「壺とバラの花は女性の暗示」「リンゴは誘惑と原罪の暗示」とあった。しかし、それを知らなかったとしてもこの絵に漂うただならぬ雰囲気はわかる。スポットライトが当てられたような光の中、脚のようなたくましい腕に抱えられる白い肌の女性。
当時のフランスの貴族社会では「リベルティナージュ」という、自由主義とも放蕩主義とも言えるような思想があったらしい。男性の意思ははっきりしているように感じるが、女性の方は自由恋愛を楽しんでいるのか、手篭めにされようとしているのか、困ったふりをしておくことにしたのか、いろいろな見方ができる絵だと思う。

さてあなたの周りにある「愛」はどんなものですか?と問われた気持ちになって会場を後にした。
ポスターは優しいトーンだが、愛の全てがこのように甘やかなわけではない。おとぎ話のハッピーエンドの後も、人生と生活は続く。
ただ、ある意味では愛は自分ひとりで完結するものだとも言える。自分から発する愛を相手が受け入れるか否か、それが相手との間でどのような形になるか、そういったことは選べないが、自分がどんな愛を相手に向けるかという点は自分で決めることができるからだ。
私の周りにある愛、私が発している愛や受け取っている愛はどんなものがあるだろうか。あなたの場合は?

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