東京ミッドタウンホール「北斎づくし」
「北斎漫画ぜんぶ、富嶽三十六景ぜんぶ、富嶽百景ぜんぶ」というサブタイトル?がついている。
富嶽三十六景は聞いたことがあるが、北斎漫画とは?と疑問に思っていたら、「事物をとりとめもなく気の向くまま漫ろ(そぞろ)に描いた画」だそうだ。なるほど巨匠の習作のようなものか・・・?と思ったらそれもまた違っており、絵手本(指導書)のようなもののようである。つまり葛飾北斎が、ありとあらゆるものを描いて描いて描きまくった絵が載っている本、ということだ。
会場内も、北斎づくし。
ガラスケースの中に、とにかくすごい数の絵が展示されている。描かれているのは森羅万象のすべて、生活のすべてと言っても過言ではない。草木、花、魚、哺乳類、鳥類、家屋、装飾模様、習俗、ポーズ、妖怪、歴史上の人物や文学の登場人物、変顔・・・
面白いなと思ったのは、とても細密に描き込まれている部分と、それほどでもないように見える部分の差があるように感じたこと。北斎は確か、70歳くらいになって「ようやく動物の骨格がわかってきて、これからもっといい絵が描けるような気がする」というようなことを言っていた記憶がある(正確に調べていないので、相違があったらご容赦を)。真実に迫りたい、本質を描き出したいという欲求があったのだろうか。その点、内面の表現手段として絵を描く行為では無かったのだろうと思う。しかし、そこここに見え隠れするユーモアを目にすると、やはり画家の個性は隠せないものなのだなと感じる。
富嶽三十六景のパートは撮影不可だった。円形の室内の壁に、ぐるりと富嶽三十六景が展示されている。そうか、と今さらのように気づいたが、富嶽とは富士山のことで、三十六景というからには36種類の絵があるのだ。つい、あの有名な波と富士山の絵のことを「富嶽三十六景」と呼んでしまいそうになるが、あれは数ある作品のうちの1枚にすぎない。
都内西部や神奈川方面だけではなく、千住や関屋といった東京東部の風景もある。私は東京東部の出身だが、団地やマンションなど高いところに登れば、そして夕焼け時など条件が整えば、遠くに小さく富士山が見えたことを記憶している。江戸時代は高い建物がないぶん、もっとくっきりと見えたのだろうか。
葛飾北斎は、居所とペンネームを頻繁に変えたことでも知られている。それだけの自由があったのは、やはり圧倒的な実力があり、世に認められていたからなのだろう。当時としてはかなりの長命だったことも、おそらく生活に貧窮することがなく、今でいう社会的ストレスや精神的ストレスも少なかったからなのではないかと思う。実際のところどうだったかはともかくとして、「いいなあ、自分も好きなことだけして世間に認められて暮らしたいなあ」というほんのりとした憧れが、北斎人気の一部にあるような気がした。
そんなふざけたペンネーム、公的には使ってなかったんじゃないの?私的な絵を描く時だけだったんじゃないの?という私の先入観を打ち砕く、刊行物の最後に記された「画狂老人卍」。本当に使ってたんだ・・・
自由に生きるって、いいですね。